地球の運び屋
いく社長です
↑蒲郡 龍神岬にて
自分自身へと向かう感情というものに
2月は向き合う期間でした
想像もつかないような
「良いこと」が
私の人生に起こり
そのからの広がりは
言葉にはあらわせないほどです
そして、その広がりから
わたしは新たな自分を見つけるための
時間へ入ったのでした
おそらくそれは3月2日まで続き
こんな自分
あんな自分
うろこが剥がれ落ちるように
自分だと思っていたものが零れ落ち
自分だと思っていなかったものが
あらたなうろことなる
そんな感覚でした
3月3日になった瞬間に
新たなビックバンが起き
また新しいフェーズ(段階)に入ったことを
感じました
星回り的にも
3月3日からってちょっと変化の時
宇宙は広く
どんどん変化する
と
同時に
私自身も
すごいスピードで
変化し続けているのです
今
人間関係に
注目しつつ
内面と向き合っているのですが
人に向かいがちな
色んな感情って
ベクトルを自分へ向けると
なにかしらの大きなヒント
道しるべとなるのですね
嫉妬や
さみしさ
焦燥
イライラ
たとえば
こんな感情を
人にぶつけがちになるし
わたしは
距離が近ければ近いほど
この感情をぶつけたくなるのです
これが
その人に対しての
甘え
なんですね
甘えてるの
この人なら
この感情を受け止めてくれるだろう
と
思っているからこそ
甘えて
感情をぶつける
猫がじゃれるのと
大差ない理由で
人にあたる
愛情の発し方が
ちょっとおかしいの
でも
これに気付いて
じゃあ
この感情を
自分自身へと向けてみると
癒されたい
自分自身に出会う
わたしをみて!
わたしだけを愛して!
こんなに頑張っているのに!
わたしはそんなことはしたくはない!
わたしはここよ!
わたしをみて!
こんな「わたし」が
私のなかにいるとは知らず
出会う感情に戸惑いつつも
そっとふれていく
自分を癒すことで
自分に出会う
そんな体験を
続けて続けて
自己肯定
や
セルフラブ
という
感覚を
今、新しく学んでいます
人に向けていた
ベクトルを
他人から自己へ向けて
では
本当に他人に向けたいベクトルは?
と
繊細に
やわらかく
感じてみるとね
そこには
ときめき
や
愛情
が
残ったのです
↑ロードス島 ハートの海
色んな感情
たくさんの感情
どろどろになるまで
煮込んだ感情も
濾過して
自分自身へ向かうと
それは
以外に単純で
その単純な感情に
寄り添って
「わたしをみて!」
「わたしをあいして!」
を
これまた
繊細に
やわらかく
抱きしめていくと
その先にあるのは
ただただやわらかい
美しい世界
そんな異次元と
3次元と
いったりきたりを
繰り返して
カラダを使い
ココロを使い
今という時間を
くじらのようにゆうゆうと泳ぐ
そんな感覚
前にね
くじらが深海を泳ぐっていう
シーンの夢をみたことがある
こんな深海にいるから
見つからなかったのね
と
夢のなかでわたしは思っていて
深い海の底でも
くじらは生きていくことが出来るんだな
と
その泳ぐ姿を見ながら
思った
あれこそが
自分自身ではないだろうか
光も届かない深海でも
そのいのちは泳ぎ続ける
夢の中でみたその姿は
とても
リラックスしていて
美しかった
自分自身の感情と向かいあうというのは
実はとても怖くて
わたしは
何度か泣きました
こんな感情があるのか、と
こんなに欲しかったのか、と
それを
知らぬふりをしてきた自分に
泣けた
本当に欲しいものを欲しいというのは
とても怖い
それを
願ってしまったら
しあわせになってしまうから
そのしあわせを
自分自身に許していない
それこそが
「抵抗」
願いを叶えないようにする
という
願いを叶えている
私たちは
様々な経験から
これを手にしてはいけない
と思うものがある
こうしたら
こうなるのではないか?
そうしたら
こうなるのではないか?
行動の先に
手にしてはいけないなにかを
にんじんのようにぶら下げて
反対側へ爆走する
しかし
お気づきのとおり
地球は丸い
反対側へいくら走っても
結局は
そこへ戻ってきてしまう
どっちへ向かっても
結局は同じ場所へたどり着くのだ
地球を一周するか
目の前で手にするかの違い
世界を旅すると
様々な経験をするだろう
そして
その過程から
たくさんの学びを得るだろう
その先に
欲しいものを手に入れる
という
結果があると
人は納得しやすい
わたしなんて
その最たるものだろう
スペイン巡礼のみち
カミーノデサンティアゴを
900km歩いて
西の果てまで探しに出たんだから
↑カミーノの一コマ
その旅路が私のベースになっていることは
確かだし
それを否定するつもりは
ないんだけど
今ね
振り返ると
一番近くにある
自分と向き合うことだけが
わたしの目的だったなって思う
世界の果てまで行って
一番身近にいる
自分との統合をはかるなんて
滑稽な話だと思うんだけど
でもそういうことなのよ
今は900km歩かなくても
ノートとペンがその役割を果たしてくれて
ひたすら
書きまくるだけで
自分との統合が起こる
感覚の中でも可能なのだろうけれど
わたしはまだ言葉にした方が楽しい
自己対話
という
大きなツール
答えは自分自身が持っていて
自分自身を誰よりも納得させてくれる
そして
そう思えたときに
他者とのかかわりは
とても楽しいものとなった
またおびえるかもしれないけど
もうおびえなくてもいい
またかなしくなるかもしれないけど
もうかなしまなくてもいい
またイライラするかもしれないけど
もうイライラしなくてもいい
そんなゆるさが
私の中に現れた
他者へ向かっていたベクトルは
すべて自分自身へ向かっていた
西へ西へと
続いていた
カミーノデサンティアゴの
矢印
遠くへ遠くへ
と
向いていたのに
実は
もといた場所へ
向かう
東へと戻るみち
だったのかな
地球を一周するルートを通って
ひたすら反対側へ走って
自分自身をみつけた
わたしのものがたり
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