地球の運び屋
いく社長です

今日の午後に
どうしてーも
どうしてーも
ほんの少しのしょっぱいもの
イコールお酒のおつまみが食べたくなり
これは仕事が終わったら
居酒屋かな
と、思ったんだけれど
居酒屋調べてたら
お刺身が食べたくて仕方なくなってきて
あー刺身食べたい
刺身食べたい
刺身食べたい
って想い続けて
居酒屋で出てくる量じゃ嫌だから
帰りにデパ地下でお刺身買おう!
お寿司も買おう
好きなだけ買おう!と決めた

だけど、事務所をでたら
何故か焼きそばのソースの味が
頭をよぎった


ソース味?
食べたいのかな?
いや、でも今日は焼きそばじゃない
刺身だ!

と意気揚々とデパ地下へ行ったら
ちょうどお寿司が半額になったところで
お刺身もたくさん買えて
ホクホク顔でホテルへ戻った

フロントの階でエレベーターを降り
鍵をもらい
お寿司を食べるために
いつも夜に用意されている
暖かいお茶を貰おうと思ったら
その隣には
フリーサービスの
たこ焼きがあった!

ソースの味が頭によぎったのはこれか!!

これもある意味チャネリング ??
遠隔で食べ物を感知する能力??
おもしろいな

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↑青森大星神社

さて
鼻詰まりも治ったので

今日は自分の過去の話をしようと思います

今回はダイジェスト版よ

わたしは25歳の時に自律神経失調症で休職、30歳の時にうつ病で休職、31.32歳は躁うつ病で休職、と何度も倒れていました

高校生の頃から低体温で免疫力低くて、ちょっと疲れるとくちびるにヘルペスが出来る
右の股関節が良くなくて、少し歩くと痛くなっちゃうからいつも湿布貼ってる

内側から外側から問題満載の人生を歩んでおりました。

躁うつ病については
2011年の震災の後
その頃付き合っていた彼氏と結婚して子供を産みたい!と決意し、医者に相談したら薬飲まなきゃないから今はダメだということをやんわりといわれ、さらにはこの先薬は長く必要になるんだよという主旨の事を話されてブチ切れて通院をやめて、薬のない不安定人間として生きる事を決めました。それから薬は飲んでいません。
ちなみにその彼氏とは別れちゃいましたけどね。
ほら、アースウィービング。
エネルギー的には完璧。

まぁ、薬がないと酒は美味いし
落ち込む時は好きなだけ落ち込めばいいさ
と、うじうじしながら生きて生きて
2015年

ショッキングな事件がありましてね
まぁ、この年は振り返ると
ショッキングだらけなんですが
とにかく人生を揺るがす
悲しみがわたしを襲ったわけです

まず
悲しみを感じることをしないで
大丈夫〜なんて平気なふりしてたら

胃が壊れました

何を食べてもお腹が痛くなる

これは覚えのある痛みです
30歳のうつ病のなり始めはこうだった
胃が痛くて
なにを食べても味がしない

そのうち、生きるに対しての欲求が薄くなっていきました

なぜ生きてるのかわからない

なんのために生きているのか

生についてやる気が起きない

さらに、どんどんばかになっていく
無能になっていったのです

それでも会社は行ってたし
仲良くしてくれる人もいたから
仕事したり、笑ったり、愚痴言ったりして
生きてました

たまに、具合悪くなって
会社行けなくなって休んだりもしてたけど
まわりに理解があったから
とても良くしてもらいました

でも浮上しない

こんな無気力でいるなら
もう死んでしまってもいい

頭はどんどんバカになっていくし
このままでは仕事も出来なくなるだろう

このままでは生活も出来なくなるだろう

と思ったわたしは
計画を立てました

死ぬ計画です

いざ、死ぬとなると
キレイに死にたかった

後に残す人に
保険金はどう引き出すか
わかるようにする
とか
アパートは片付けやすいようにしよう
とか
会社はその前に辞めておこう
とか
ひとりでひっそりいこう
とか
そんなことを計画し始めました

そしたら
私にほんの少しだけ貯金がある事に気付いたのです

あれ?
わたしお金少しだけどある

あれ?
退職すると、退職金がでる

何故か
お金があるとわかったら
使いたくなった

なにに使うかといったら
死出の旅路に使おうと思った

昔からわたしは世界一周旅行がしたかった
だから
旅行しながらいけばいいんだと
思ったのです

そこでふと思い出した
スペイン巡礼の旅

世界一周旅行は
飛行機乗ったり電車乗ったりバス乗ったりするから
ばかになっちゃったわたしには難しいけど
巡礼の道は歩くだけだから私でも出来るんじゃないか?って思った

ぼんやり歩くだけなら
わたしにも出来る

巡礼の道まで行くのは
直行便を使えばいいし
調べたらそれはわりと単純だったし
みんな同じところへ行くから
いざとなったら人についていけばいいや

よし、スペイン巡礼に行こう
死ぬも生きるもそこにのせてみよう

緩やかなる自殺と名付けて
わたしは死への道を歩き始めた

はずだった

わたしは歩き始めてしまったのだ

死への道と思ったその方角は
実は
生への道だった

気付けば
生きるという道を歩いてた
まっすぐに死へと向かっていたはずだったのに

身の回りの整理をして
会社を辞める準備をして
死出の旅路の支度をしていたはずだったのに

死も生も同じ道だったと気づくのはもっともっと後のことにはなるけれど

今の私が言葉にするなら
死にまっすぐに向かっていったら
そこにあったのは生だったということなのだろう

夏の終わりのある日
妹が実家に遊びにきてると聞いて
わたしも行ってみた
小さな姪に会いたかったのだ

そこで
1歳にならない
小さな小さな
姪を抱き上げて歌を歌ってた時
姪がわたしのくちびるに
おでこをぺとりをつけた

起こったことはそれだけだ

だけど
わたしはその時に
言葉にならない愛を感じた

彼女から私への愛なのか
私から彼女への愛なのかわからない

でも、その時その空間にあったのは
愛だった

よくわからないけれど
その時に全て変わってしまった

その時に
妹が持っていた本から
さとうみつろうという名前を知り
ブログを読み始め
本を読み始めてしまった

ふとネットの住宅情報を調べて
実家の近くに一戸建てが売りに出てるのを発見し、ローン組んで買ってしまった

まだまだ
生きるに対してポジティブになったわけじゃなかったけど

それでも行動が変わっていった

みつろうさんのブログから
秋田公演の招致メンバーに出会い
大切な大切な友達が出来た

会社は辞める
巡礼は行く
これは変わらない

だけど家を買って
いく社長と名乗ってブログを始めて
友達が出来て
急激なスピードで
自分のまわりにあるものが
ずっとあったものが見えてきた

そして
こうすればこうなるという
宇宙の法則という
仕組みがある事を知り
その奥深さに夢中になった

2016年の4月に会社を辞めて
5月に巡礼の旅に出た

出発の時には
その一年前の
無気力な私はいなかった

でも生きて日本に帰ろう!みたいな気持ちがあったわけじゃないんだな

まだどこかで
この旅で死んじゃってもいいやって
思ってたところもある

生きても死んでも
どっちでもいいや

この命を巡礼の道にのっけてみよう
預けてみよう

わたしはただ歩くだけ
道を西に向かって歩くだけ

そうして900キロを41日かけて歩いた

西の果てで
旅を終えて
白ワインを昼間から一本あけて
昼寝した

もう歩かなくていい人生がやってきた

はずだったけど

わたしはあの時からずっと
地球を転々としている

西の果てから
サンセバスチャンへ行き
極楽ピンチョス巡りをして
バルセロナで宇宙仲間と出会い
帰国したと思ったら
福井、沖縄、浜松へ行き
大阪へ行き
東京へ行き
盛岡へ行き
まったく秋田にいつきやしない

9月にまたヨーロッパにわたり
3週間のエイブラハムワークショップのクルーズに参加し豪華客船で地中海を楽しんだ

そのあとは盛岡で仕事を始め

休みのたびに日本を飛び回り

現場の移動に伴い
仕事は山形、青森へと続き

国内、海外と忙しく移動しながら

私は今も生きている

ボロボロだった私の体は
今はとても健康だ
すりきれていた私のマインドは
満たされている

忙しい移動の中で
素晴らしい出会いや経験をして
わたしはそれを手に入れた

まっすぐと死へ向かおうとした時
すごく冷静だった事を覚えている

死は恐怖でもなんでもなく
ただそこにあるものだった

道の先にある向かうべき場所だった

生きる方向は見えなかったのに
死への道がまっすぐに見えたのはなんでだろう

もしかして
生だと思ってた方角が死で
死だと思ってた方角が生だったのかもしれない

わたしはいま
地球の運び屋として
エネルギーを色んな場所に運んでる

地球にはこんな楽しみ方もある

100%地球を楽しむための
体と心をつくる方法を
過去のわたしに伝えたい

無気力で
死にたいと
泣く事も出来ず
ただ黙々と毎日
自分のベッドのシーツを変える事だけが
生きがいだった
あの頃のわたしに
伝えたい

私はいつか必ず死ぬ

その日まで
なんだっていいから
なんになれなくてもいいから
生きよう

死への一本道を