『破戒』/島崎藤村 | こだわりのつっこみ

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 父はまた添付して、世に出て身を立てる穢多の子の秘訣――ただ一つの希望、ただ一つの方法、それは身の素性を隠すより外にない、「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅おうと決してそれは自白けるな、一旦の憤怒悲哀にこの戒めを忘れたら、その時こそ社会から捨てられたものと思え。」こう父は教えたのである。
 一生の秘訣とはこの通り簡単なものであった。「隠せ。」
(p16-17より)

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今回は、古典的作品、島崎藤村の破戒です。
様々な論議を読んだ作品なので、詳しい評論は専門家に譲るとして、独善的なつっこみは続けます。
刊行されたのは今から100年以上前の1906年(明治39)。
一言でいうと、この明治時代にこのテーマでの刊行はなかなか勇気がいるな、とは思うが内容が…という感じでした。
当時の現状から何も打破できるものではなく、むしろその現実を肯定してしまっているのではないかと、読んだ直後の感想です。

あらすじを急ぎたいところですが、まずはこの作品の重要なキーワードである「穢多」について整理してみます。

穢多
江戸時代に武士・百姓・町人の下に置かれた身分。
結婚や居住などに差別・不当な扱いを受けた。
農業従事の他、皮革処理などを主な生業とする。
1871年の廃止時に28万人がいたという。

ではあらすじを。

時は明治時代、穢多は「新平民」と呼ばれるようになり、制度上は一応一般の人々と変わらない身分へとなっていたものの、差別は依然として色濃く残っていました。
主人公の瀬川丑松も、そんな新平民の一人。
しかし、父親や親戚の尽力などで新平民ということは明らかになっておらず、小学校の教諭として過ごし、また
父親の「決して出自を明らかにしてはならない」という戒めを守り、生きてきました。

学校では同僚かつ友人である土屋銀之助とともに良い先生として慕われており、それが校長郡視学、さらに郡視学の甥である教員勝野文平と対立している火種ともなっていました。

そんな彼の心の拠り所となっていたのが、猪子連太郎と、その著作。
猪子は瀬川とは違い、新平民であることを明らかにしながら社会の不合理を訴える社会思想運動家。
そんな彼と知り合いであり、尊敬しまた信奉している丑松は、父親が亡くなったことから故郷へ帰らねばならなくなり、その道すがら猪子と遭遇します。
猪子は、議員に立候補している友人の弁護士の応援をするために、この地にいたのでした。
猪子と時間をともにしているうち、彼だけには自分の素性を話してもいいのではないか、話した方がより彼に近づけるのではないか、と丑松は考え、父の戒めを破ろうと試みようとするものの失敗。
猪子は選挙の応援で、丑松は父親の葬式に行かなければならなかったため、各自旅路を急ぎ、別れることに。

父の葬儀に参加することで、丑松には一抹の不安がよぎります。
自分の出自がどこからか漏れてしまうのではないかという不安。
その不安は的中してしまい、葬儀から帰ってきた後に、丑松は新平民だという噂が徐々に広がっていきます。
加えて猪子が丑松の生活する町にやってきて、丑松の居場所を訪ね歩いているということが、さらに人々の疑惑を深くするものになりました。
猪子は弁士として先の弁護士の応援演説するためにやってきたのですが、なんとその最中に敵対する高柳利三郎の一味に襲われて殺されてしまうのです。
ここへきて丑松は、出自を明らかにしない自分を顧み、自ら新平民であることを告白しようと決意します。

その告白は、自分が可愛がっている生徒たちの前で行われました。
「今まで隠していて済まなかった。私は穢多であり、不浄な人間なのだ」と言い、土下座。
丑松は、もはや小学校に居続けることは不可能だと感じ、同じ穢多の人のツテを辿って、アメリカのテキサスへと旅立つのでした。



では以下は個人的な感想なので、いやな方は見ないで下さい。










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~1回目 2011.5.2~

小説は虚構の話、フィクションだということが前提にあったとしても、書かれた作品は「なんでもあり」ではありません。
思うことは自由でも、それを文字で、言葉で表現した時点でなんらかの社会的影響があり、それを受ける責任を持つべきだと思います。

のっけから何の話をしているのか、という感じでしょうが、この破戒については、納得できない部分が多すぎます。
差別の実態を啓発するどころか、逆に差別を助長してしまうのではないか、と思わざるを得ない部分が多い

まず、その結末。
多くの評論家から指摘されているとおり、アメリカに行くというラストはどうなんでしょう
これって、簡単に言ってしまうと「逃げ」ですよね。
カミングアウトをして第二の猪子として生きるわけでもなく、隠し通すわけでもない。
結局丑松は逃げているわけで、自ら社会を変革しようと努力するわけでもなく逃げた後に日本の社会が変わってくれることを希望しているようなご都合主義。
これでは、(少なくとも当時は)穢多という身分出身では日本で生きられないということを暗に示しているだけではないでしょうか?
結局猪子の「我は穢多を恥とせず」という考えには至っていなかったということで、それならば何のためにカミングアウトしたのか。
自分のモヤモヤを晴らしたいだけだったのだろうか、と思えてしまうところに寂しさを感じます。

出自を告白したことで丑松の身の回り(親戚など)にも影響が及ぶことは必至です。
そんななか、作者はこんな救いのない文章で解決します。
「その時はまたその時さ。」
「なあに、君、どうにか方法は着くよ。」(ともにp413)
そんな適当で済むような差別ならば、穢多と告白してもどうにか日本で生きる方法は着くんじゃないかな。

さらに、告白の仕方にも問題があるように思えます。
「後々までの笑草などにはならないように」(p364)打ち明ける方法が、謝って土下座とはどうしてでしょう
自ら穢多(新平民)は穢れた身分であるという後ろめたさが、全く自己の中で解決されていないではないですか。
様々な文献を見たところ、日本における穢多という身分は、政治によって作り出された身分であり、同じ日本人には変わりありませんし、その差別の根拠は人種や民族的なものとは一線を画す曖昧なものです(もちろん、だからといって人種差別や民族差別をしていいといことでは決してありませんが)。
ゆえに、その差別の根拠の脆弱さは、猪子の著作を愛読している丑松には分かっているはずなのですが・・・

ということを総合すると、島崎藤村自身に差別の認識があったのだろうと解釈してしまうのです。
解説の野間宏さんは、猪子の口から出る発言から、それを分析していますが、私も別の部分からそう判断しました。

それはこの部分。
丑松の父は、種牛によって殺されてしまったのですが、その種牛を処分するために屠殺場に丑松が行く場面です。
少し長いが引用してみます。

屠手として是処に使役われている壮丁は十人ばかり、いずれ紛いのない新平民――殊に卑賤しい手合いと見えて、特色のある皮膚の色が明白と目につく。一人一人の赤ら顔には、烙印が押当ててあると言ってもよい。中には下層の新平民に克くある愚鈍な目付をしながらこちらを振返るもあり、中には畏縮た、兢々とした様子して盗むように客を眺めるものもある。(p180より)

あたかも新平民は平民などとは別人種だと言わんばかりの差を丑松に思わせています。
いくら小説であろうと、文豪が生み出したこの長編作品によるその社会的影響の大きさを考えると、何も被差別部落や穢多とよばれた人々についての知識がないままにこの作品を読んだら、
「やっぱり穢多って私(もしくは私たち)と違うんだろうな」という誤解を招く危険性があると思います。

面白かった点は、新平民としての丑松のことだけでなく、没落した旧士族の老教師、風間敬之進の悲惨な生活が、政治家や華族の華々しき生活と比してこの時代における一般大衆の様子を垣間見えることができた、ということでしょうか。
お志保さんとの恋もなかなかイライラしますが、お志保さんが可愛げがあるお淑やかな女性なので、すがすがしかったです。

ただ、自分の読みが甘かったのかもしれませんが、私の中ではモヤモヤが溜まる作品でした。

総合評価:★☆
読みやすさ:★★
キャラ:★★
読み返したい度:★☆