すると、玄朗は玄朗で、彼もまたずっとそのことを考えていたとでもいった風に、自分はこんどの一行とできることなら一緒に帰りたかった、そしてよぼど健康を理由にその運動をしようと思ったが、やっとのことで思いとどまった。若し行をともにしていたら生命はなかったかも知れない、そんなことを少し陰にこもった口調で話し、
「われわれの場合だって、無事に帰国できるとは決まっていないんだ。帰国できるかも知れないし、できないかも知れない。われわれはいま海の底へ沈めてしまうだけのために、いたずらに知識を掻き集めているのかも知れない」
(p49より)
---------------------------------
壮大な歴史小説、天平の甍を取り上げます。
これは、遣唐使である普照を主人公として、有名な唐の高僧鑑真を日本へと連れて来るということを追った作品です。
遣唐使や鑑真は中学生・高校生で勉強しましたが、しかしただその程度の知識しかありません。
どれくらいの人員で、どんな航路を辿り、そしてどれくらいかかったのか。
さらにどれくらい一生をかけた危険な大航海だったのか。
これを考えると、もっとその遣唐使にかけられた重みを感じることができます。
あらすじです。
天平4年(732)、朝廷で第9次遣唐使が派遣されることが決まり、翌年留学僧として、普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)が選ばれます。
2人は、大事な使命を告げられます。
それは、日本に根付いていない戒律をもたらしてくれる、伝戒の師を唐で見つけて招聘してほしいということでした。
当時の日本には、仏教において守らなければならない戒律というものが十分に伝わっておらず、それを知らないままに勝手に僧を名乗るものが多かったためでした。
4艘の船、普照らを含め総員約600名を乗せた遣唐使船は、出発。
船では、何を考えているかよく分からず斜に構えている態度の戒融、若く僧というよりも市井の人のような人間的な玄朗という留学僧も乗っており、一行は遭難寸前で唐にたどり着きます。
さて、唐に着いた留学僧たちは仏教盛んな本場、唐の寺院や雰囲気を味わいながらも、同じくかつて留学僧として渡唐してきた日本人たちとも交流します。
しかし、唐からは何も学ばず、日本で暮らしていた方が良かったと述べる景雲や、何十年も写経にのみ費やしてきた業行など、クセのある先達に、普照は困惑してしまいます。
そして唐に来て2年余りの歳月が経ち、戒融は自ら留学僧という身分を捨て、出奔。
そのような唐での様々な出来事に翻弄されながらも勉学に励む普照と栄叡ですが、唐に来て10年近く経ったある日に、帰国しようと思い立ちます。
それは、伝戒できる唐の僧を招聘するという本来の目的を思い出したためでした。
栄叡は業行が写経した経典を日本に持ち帰ることと、伝戒の師を日本に連れて行くことを自らの全力の仕事とすることとし、そこでたどり着いたのが唐の高僧、鑑真でした。
では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。
- 天平の甍 (新潮文庫)/井上 靖
- ¥420
- Amazon.co.jp
~1回目 2011.1.24~
さて、あらすじの続きです。
もともとは鑑真の弟子の数名を日本に招聘しようとしていた普照と栄叡ですが、弟子たちが及び腰と分かるや、鑑真自らが渡日することを決します。
ただし、そうは簡単には渡航できません。
そもそも、鑑真は唐の中でも重要な立場の高僧であり、おいそれと唐王朝政府も彼を日本には行かせたくありません。そこで密航の形で行かざるを得ず、当然難破の可能性が高い比較的小さな船を使わねばなりません。
事前発覚によって計画が頓挫したり、せっかく渡航にこぎつけるも遭難したり。
果ては中国南部、現在の海南島にまで流されたり。
そんな中で、鑑真や留学僧達にも変化が。
玄朗は遣唐使船と一緒に日本に帰国したいということで普照らの鑑真脱唐計画からは離脱。
何十年も写経を続けていた業行は、経典が海の藻屑となることはどうしても避けたいということで離脱。
海南島から揚州に戻る際に、鑑真を日本につれて帰ることに一番熱心だった栄叡が病に倒れ亡くなってしまう。
高僧鑑真も日本へ行く決意は変わらないものの、次第に目が見えなくなっていってしまう。
主人公の普照はこれらを目の当たりにし、鑑真を初めとする一行を、日本に連れて帰ることを諦めることとします。
その代わり、業行が写経した経典を日本に運ぶことに全力を尽くそうと決めるのでした。
さて、やがて時はやってきます。
20年ぶりの第十次遣唐使船が唐に到着したことを受け、事態は大きく変わっていきます。
遣唐使節が玄宗皇帝に鑑真を連れて帰りたいとお願いし許可され、普照と業行も遣唐使船に乗って帰れることになったのです。多くの経典を積んで。
まさに普照にとってみれば叶えたかった夢が叶う瞬間です。
普照と鑑真は見事日本にたどり着きます。
が、一方業行の乗った船は阿古奈波(沖縄)を最後に本土の土は踏めず、多大な経典とともに海に沈んでしまいました。
感想で す。
分量は少なめとはいえ、かなり史実に基づいた部分があるので、なかなか読み応えがあります。
歴史に興味がないと、結構きつめです。
あまり会話がなく、淡々と話が進んでいきますが、それが数少ない会話を引き立たせます。
「照は泣いているのか」
と、鑑真は訊いた。
「泣いてはおりませぬ」(p159)
一旦は海南島までの遭難後、師を日本に渡航させることを諦めた普照が、3年ぶりに日本に向かうために師が乗っている遣唐使船で師と再会した翌朝の会話です。
普照は泣いていてのですが、その涙が様々な思いを含んでいることをうかがわせ、それが鑑真の言葉によって包み込まれているという感じが十分に伝わります。
そして、普照・栄叡・戒融・玄朗・業行といった留学僧の性格がそれぞれ異なっていて、さらにそれぞれ納得させる生き方をしているところに、人間の面白さがうかがえます。
主人公の普照には、それらしい主張や思想があるようには感じられませんでしたが、最後に日本で戒律に関しての討論を日本の僧と討論するに当たり、完全に論破します。
それだけで、熱心に勉学に励み、唐に渡ったことで様々なことを吸収していったことがよく分かります。
栄叡は頑なに戒律を授けられる僧を連れてくることという重要な任務を最後まで遂行しようと尽力します。
最後は客死してしまいますが、それでも普照の親友ともいえる彼の行動は、普照に影響を及ぼしています。
戒融は個人的に好きな人物の一人です。
登場こそ少なめですが、彼の普照に問いかける言葉一つ一つが重い。
先進国唐に辿り着いて仏蹟などに関心を奪われていく留学僧の中にあって、戒融は唐土に群がる飢えた難民を見ています。
さらに経典の語義を研究している人たちに対し、釈迦の教えはもっと大きなものがあるといいます。
「机の中にかじりついていることばかりが勉強と思うのか」(p30)
という言葉が一番印象的です。
玄朗は、僧としては失格かもしれないけれど、一番人間らしい性格をしているように思えます。
唐に向かう際の何日も続く荒波に自分自身を励ます言葉を一人ごち、いち早くホームシックにかかり、と思いきや還俗(僧を辞めて一般の人になること)して唐の女性と結婚しているというなんとも嫌いになれない性格。
なんだかんだで唐に一番馴染めるのは彼のような性格なのかもしれません。
そして業行。この人物には感情移入をせずにはいられません。
まずは彼の思想としてのこの言葉。
「・・・・・・自分で勉強しようと思って何年か潰してしまったのが失敗でした。自分が判らなかったんです。自分が幾ら勉強しても、たいしたことはないと早く判ればよかったんですが、それが遅かった。経典でも経疏でも、いま日本で一番必要なのは、一字の間違いもなく写されたものだと思うんです。・・・・・・」(p45)
業行も恐らく遣唐使船に乗って唐土を踏んだ時には熱心に勉強したことでしょう。そして日本のため、自分の名誉のために何か大きいことをしようとも思ったことでしょう。
しかし、いち早く自分の限界を察し、同時代や後世の優秀な人に託すということに至るまでに、どれくらいの葛藤や苦悶があったのだろうかを思うと、非常に苦しくなります。
それが実を結ぶと思った遣唐使船での帰国も、最後は不可能となっており、彼の何十年かは一体なんだったのだろう、翻って彼の人生とは何だったんだろうという無常がひしひしと伝わりました。
この本は、若いときにももちろん何かを得れるとは思いますが、ある程度年をとってから読み返すと、人生について考えることができるのではないでしょうか。
名作です

総合評価:★★★★
読みやすさ:★☆
キャラ:★★★
読み返したい度:★★★★★