雑然とした台所をゆっくり見まわす。汚れた食器、壁のカレンダー、立ったままのポテトチップスを食べている娘、そして、どっしりと立派な、つやつや光ったチェリーパイ。
家事は何一つ満足にできないくせに、毎日お菓子をつくるだなんて、そんな風にむきになるなんて、まったくあいつらしい。本でも読んだのかもしれない。ハンドメイドのお菓子が子供におよぼす好影響について。
僕は静枝が台所に立って悪戦苦闘している姿を想像した。痛々しくて滑稽で哀しくて、僕は百年ぶりくらいに、静枝をいとおしいと思った。許そうと思った。
(p151-152より)
---------------------------------
今回は、江國香織さんの短編集、つめたいよるにを紹介します。
短編集ですので、あえてあらすじは書きませんが、この作品集にはかの有名な「デューク」が掲載されています。
10年位前のセンター試験の国語Ⅰの問題文として出題され、試験にもかかわらず会場で涙する受験生が現れた、という伝説の残る、あの「デューク」です。
・・・まあ、私は泣かなかったけれど、あの試験会場で感動した一人です
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
まあまあ、「デューク」は以下に語るとして、個人的に面白かった4作品をチョイスしてみました。
それは、「デューク」、「スイート・ラバーズ」、「子供たちの晩餐」、「さくらんぼパイ」です。
冒頭で引用した文章は、「さくらんぼパイ」の一節であります。
では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。
- つめたいよるに (新潮文庫)/江國 香織
- ¥420
- Amazon.co.jp
~2回目 2010.12.7~
まず、江國さんの作風として、文章がキラキラしている
![キラキラ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/123.gif)
文章が綺麗だとか、整っているとか、そういうことではなく(そういうことも含め)。
短編集では、設定や状況を色々変えながら、そのキラキラをいかんなく発揮していると思いました。
実際、ストーリーはそこまでユニークでもありません。
例えば・・・
「デューク」は、愛犬のデュークが死に、茫然自失の主人公の女の子の前に、端正な顔の男の子が現れる。デュークは、男の子姿となって、その女の子との最後の思い出づくりをし、女の子にさようならを告げる。
「スイート・ラバーズ」は、結婚を間近に控えた麻子が、病室でおじいちゃんと語らう。亡くなったおばあちゃんの生まれ変わりかのごとく似ている麻子。おじいちゃんが亡くなるとき、麻子の中からおばあちゃんが出る。おばあちゃんは、おじいちゃんのそばにいたくて、麻子の中にいたのだ。
「子供たちの晩餐」は、両親が子供たちを置いて出かける。母親は完璧な料理をいつも作っているが、そのときも完璧な料理を子供たちに作り置きしていた。両親が出かけた後、子供たちは母親の作ってくれていた料理を庭に埋め、カップラーメンや駄菓子など、体に悪そうな食べ物を楽しそうに食べる。
「さくらんぼパイ」は、離婚をし娘を妻にとられた「僕」は娘の求めに応じて、本来なら行くべきでない、元妻と娘の家に向かう。妻が部屋に閉じこもり、出てこないのだ。離婚以来、料理下手にもかかわらず毎日娘にお菓子をつくっていたが、娘がチェリーパイを食べなかったからだ。「僕」はチェリーパイを食べ、娘を1日預かると言い、「パイおいしかった」との言葉を残し、部屋を出る。
というように、どこかにありそうなファンタジーであったり、日常のひとコマだったりします。
しかし、江國さんの魔法にかかれば、それは素敵な文章になるのです。
ただし、あまりにもオチがすっきりしない作品も多かったのも事実です。
というのも、清水義範作品などで短編集を多く読んだ私は、短編集には明快なオチを期待してしまうのです。それが、不完全燃焼なものも多かったと感じました
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
総合評価:★★★
読みやすさ:★★★★
キャラ:★★
読み返したい度:★★