『風の歌を聴け』/村上春樹 | こだわりのつっこみ

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素人が音楽、小説、映画などを自己中心的に語ります。

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 「これから何をする?」
 鼠はタオルで足を拭きながらしばらく考えた。
 「小説を書こうと思うんだ。どう思う。」
 「もちろん書けばいいさ。」
 鼠は肯いた。
 「どんな小説?」
 「良い小説さ。自分にとってね。俺はね、自分に才能があるなんて思っちゃいないよ。しかし少なくとも、書くたびに自分自身が啓発されていくようなものじゃなくちゃ意味がないと思うんだ。そうだろ?」
 「そうだね。」
 「自分自身のために書くか・・・・・・それとも蝉のために書くかさ。」
 「蝉?」
 「ああ。」
(p113-114より)

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日本を代表する大作家先生であり、色んな解説本も出ている中で恐縮ですが、今回は村上春樹さんのデビュー作である長編小説風の歌を聴けを紹介です。

いずれ書くとは思いますが、私自身は村上春樹さん初挑戦ではなく、これまでに『ノルウェイの森』、『スプートニクの恋人』、『ねじまき鳥クロニクル』なんかを読ませていただいたのですが、正直今回のこの作品には困惑です。。。


あらすじはと言いますと(しかし、よく頭に入っていないので間違いもあるかと思います)、

東京で大学生活を送っていた「」が夏休みに故郷へ戻り、「鼠」という金持ちらしい同世代の男と知り合い、「ジェイズ・バー」でビールを飲んだり、小説について語り合ったりという退屈な毎日を送ります。

そんなある日、鼠のいない「ジェイズ・バー」で、「僕」は酔っ払った小指のない女の子を介抱します。
その女の子の家に送り届けた僕は、そのままその子の家に一晩泊まります。
とはいえ、泥酔した女の子を襲ったわけではありませんが。
しかし、女の子は誤解し、それが解けぬままその子とはおさらば。

さて、僕が家の居間で缶ビールを飲んでいると、ラジオ局から僕宛にリクエストをくれた女性が居るということを唐突に告げられます。最初は思い出せなかった僕でしたが、ラジオDJが話す情報から、どうやら高校生の時にLPレコードを貸してくれ、そのまま返しそびれた女性だったことが分かります。
しかしその突然のことに僕は気になり始め、その女性が現在何をしているのかをたずね回ったり、彼女に返しそびれたLPを買いに行ったりします。
それと同時に、自分と関わりがあった(具体的に言えば性的な関係をもった)女性たちについてもぼんやりと思い出していくのです。

そして、僕が買いに行ったレコード店で、僕は意外な人と再会します。
「ジェイズ・バー」で介抱し、変な別れ方をした、あの小指のない女性だったのです。





では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。










風の歌を聴け (講談社文庫)/村上 春樹
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~1回目 2010.6.14~

あらすじの続きといきたいところですが、実のところあらすじを書くようなまとまったストーリーがない、というのがこの作品の特徴でもあると思い、かなり変なあらすじになってしまうと思うので、ここはバッサリ核心部分のみを紹介しておきます。

・鼠が女性と会って欲しいというものの、当日、パーになる。
・仲良くなった小指のない女性は旅に出るといいながら、実際のところは恐らく誰の子か分からない子どもを堕ろしていた。
・僕が探していたLPを返しそびれた女の子は病気療養ということで大学を退学し、それ以来行方知れずだったが、ラジオで病気をかかえる17歳の子の姉がその人かもしれないこと。
・その後、10年近く経ち、僕は結婚し東京で暮らし、鼠は小説家になった。


さあ、感想ですが。

今まで読んできた村上さんの作品の特徴は、

文体が独特(翻訳調といいましょうか)。
なにかを喪失し、それを追いかける(または追いかけようとする)

という共通点をもっているように感じます。

この『風の歌を聴け』も、まず惹かれるのはその文体です。

たしかに面白いビックリマーク
喪失とかもろさ、空虚感ってのもあるなぁとは思います。

でも、なんかしっくりこないんだよなぁダウン

その文体が回りくどく感じてしまい、
喪失感も身に響いてこない。

今まで読んだ作品が割と長編だったので、その分キャラクターの骨子がよくよく伝わってくるんですが、この作品に関しては、僕も鼠も、小指のない女の子も、有体に言ってしまえば
心がない役者に演じさせている
という白々しささえ感じてしまいました。

「ジェイズ・バー」のマスターだけは妙なリアリティを感じましたがにひひ

男の股間を「あなたのレゾン・デートル(存在理由)」なんていう女性が実際にいないのは分かるんだけど、そこまでみょうちくりんな台詞、小説でも変じゃないかな。
それとも1970年代のいやでも小難しい用語を並べた左翼的な雰囲気が漂う20代って、こんなこと実際言いそうだったのかなぁ(笑)


それに、例えば、
小指がない女性が僕に、旅に出ると言いながら行ってなかった理由を聞きたいかと問われ、以前解剖した牛の胃の中に入っていた草の塊を引き合いに出してこういう風に言うんです。

「何故牛はこんなまずそうで惨めなものを何度も何度も大事そうに反芻して食べるんだろう」(p130)

つまり、これ、彼女に対して
「言いたくないような惨めなことを、何度も何度も必要以上に考え、自問自答している」
ってことの暗喩だと思うんですが、
回りくどい。
なんかこういうのが文章量に比べて多すぎて、、、


しかし、もしかしたら、村上春樹の作品を読みこなせるほど、精神的にまだ未熟なのかもしれません。なので、いつか再挑戦したいとは思います。
 



総合評価:★☆
読みやすさ:★☆
キャラ:
読み返したい度:★★★