『哀しい予感』/吉本ばなな | こだわりのつっこみ

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 その美しい旋律は遠い昔、いつもそうして、音を見ていたような、そんな甘い気持ちをよびさました。私は目を閉じ、耳を傾け、みどりの海底にいるようだと 思った。世界中が明るいみどりに光って見えた。水流はゆるやかに透け、どんなにつらいことも、その中では肌をかすめてゆく魚の群れくらいに思えた。行きく れてそのままひとり、遠くの潮流に迷い込んでしまいそうな、哀しい予感がした。
 19の私の、初夏の物語である。
(p20より)

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洋書だけでなく、日本の小説も読んでおくもんですね。
いやー、かなり面白い小説です。
今回は哀しい予感の紹介です。

かつて、『キッチン』『満月』『ムーンライト・シャドウ』を読んできましたが、共通点も垣間見えるし、新たな展開に、胸が詰まりました。
かといって、タイトルとは異なって、哀しい物語ではなく、切ないけれど明るい希望が見える作品なのです。

ではあらすじです。

主人公弥生は、なんの不自由もなく幸せな家庭で育ってきました。
両親ともに優しく、明るい人たちで、弟の哲生とも仲が良すぎるくらい良い。
しかし、そんな生活であっても、弥生にはふと気になり、悩ませることが。

それは、「幼い頃の記憶がない」ということ。
もちろん、多くの人が幼い頃の記憶を明確に覚えていることはないと思いますが、弥生の場合、そうではなく、「大事な記憶であったはずなのに忘れてしまっている」ということが、多くの人とは異なっています。

しかし、あることをきっかけにして、弥生は徐々にその記憶を思い出していきます。
そして、真実を知ります。哀しい真実を。

そのことで、1人で怪しげな家に暮らす、高校で音楽を教えているおば、ゆきの、との関係、そして仲良しな弟の哲生、さらには両親など、弥生を取り巻く環境に大きな変化が訪れることになります。


では以下にネタバレ含むあらすじと感想を。
 








哀しい予感 (角川文庫)/吉本 ばなな
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~1回目 2010.4.26~

あらすじの続きです。

さて、弥生が思い出した過去。
それは、今一緒に暮らしている両親とは血がつながっていないということ
さらに、あの風変わりなおばこそが、実は自分の本当の姉なのだということ
でした。

弥生が幼い頃、家族で向かった旅行先にて、自動車事故で両親は死んでしまい、姉とともに現在の弥生の家に引き取られることになったのです。
弥生は事故のショックで記憶をなくし、そのまま引き取られますが、もはや別の誰かと暮らしてはいけないと考えられるほどの年齢だった姉ゆきのは、育ての母親の妹(つまり弥生にとってのおば)という関係となり、1人で暮らすことを決意したのです。


さて、ここで弥生に関して、2人の登場人物との関係が大きく変わっていくことになります。
 ① おばだと思っていた、姉ゆきのとの関係。
 ② 弟だと思っていたが、血縁関係にないと分かった弟哲夫

まず①の姉との関係ですが、弥生が記憶を取り戻して、向かった姉の家でそのことを告白した後、姉は不意に家を出て行ってしまいます。
「もしかしたら、このまま姉は帰ってこないのではないか?」と予感した弥生は、弟の哲生とともに、姉探しに向かうのです。

向かった先、軽井沢の別荘には、確かにゆきのがいた形跡がありました。しかし、本人はいなくなっており、
同じく彼女を追ってきたゆきのの元彼氏正彦くん(自分との子どもを一方的に堕ろし、一方的に別れを切り出されたが、不意に彼女から軽井沢の住所を電話で告げられ、急いでやってきた元教え子)とともに、ゆきのの行方は分からぬまま帰路に着きます。

さて、この軽井沢では、もう一つの②哲生との関係も変化を見せます。
実は哲生は、弥生があの家の娘でないことも、そして自身もあの家の子ではないことをかなり前から気づいており、必死に恋心を隠して弟を演じていたのです。
しかし、弥生が思い出した以上、隠し続けることはないわけで、軽井沢旅行にて、彼は弥生に告白をするのです。

姉の家に戻った弥生は、姉の部屋で、青森のガイドブックを見つけ、まさにそれが2人が生みの両親を失った旅行先だったことを思い出し、急いで青森に駆けつけます。
家族旅行では、事故のためにたどり着くことができなかった青森県恐山。
そこにゆきのは行く、と確信していた弥生が向かうと、やはりそこには姉の姿が。

ゆきのも旅すがら、再び家に戻ること、そして正彦君とやり直すことを考えており、もう大丈夫だと弥生に告げます。
東京では、弥生は弟が待っています。弟は弥生と姉弟ではなく、恋人として向き合うことを考えています。
この先、困難が待ち受けてはいると思いますが、弥生は前を向いて歩いていこうと決めるのです。


あらすじが若干長くなってしまいましたが、それだけ熱く語りたくなってしまったということでしょうか。。。
かなり面白い作品でしたビックリマーク

まず登場人物が非常に愛らしいのです。
素敵な箇所の引用とともに語りたいと思います。

その生活はズボラで、怪しい家で汚い家に住んでいるのに、実は一番多感なんじゃないのかな、という気がしてしまう姉ゆきの。
実在するとしたら、どんな人物なのだろうか、と気になってしまうくらい、魅力的な人です。
自分で決めたら、きっぱりと“なかったこと”にする、というのは強い感じもしますが、実は弱い人じゃないかなという弱さを感じてしまうのです。

引用ですが、弥生と哲生が軽井沢へ行ったものの、ゆきのの姿はなく、置手紙が残されていました。

「弥生ちゃん、
 本当にここまで来てしまいましたか、嬉しいな。
 旅は愛を深めますね。
                                    ゆきの」(p92)
全てを思い出し、自分を追ってくれた弥生に対し、素直に嬉しかったと語るゆきのは愛おしいのです。


その彼女とは正反対の、元恋人正彦。
実直であり、精悍な彼は弥生とは正反対な感じもします。
が、彼も妾の子として生まれ、忘れていた情けなく、誰とも分かち合えない懐かしく、胸の痛む思い出があり、同じくその胸の痛む過去をもっていたゆきのと結びついたのでしょう。

「僕の中には、もう自分すら忘れてしまった何年間かが眠っている。ほんの子供が、 お母さんを守ろうと心をくだいた、実に強くて情けなかった時代があったんだ。……(中略)……ゆきのさんに出会うまではそんなことすっかり忘れていたから だ。あの人は、そういったなつかしいものや、胸の痛むことや、どうしようもなく歯ぎしりをするようなことのすべてだった。」(p106)

表面は正反対だけれども、根は同じ2人の行く末を想像すると、良い方向に行ってほしいなぁと思うのです。


さて、忘れちゃいけない生まれながらに人格が高いと言わしめる、いい男哲生。
読んでいながら、「あぁ、なんてこいつはいい奴なんだろう」という思いを強く持ちます。
特に、弥生との関係を先の先まで考えていて、それがなんとも言えぬくらい気持ちが伝わってくるところが素敵なのです。

「夏が来るからっておかしくなってるわけじゃないわよね、私達。ずっと、こうだったよね。」
 私は言った。確かめたかった。
 子供の頃から。
 他の人と比べるたびに。
 この子でないと思うとつまらなかった。
「あたりまえだ!」
 と言って哲生が笑った。
「じゃあ楽しいね。これからは。」
「そうだよ、楽しいよ。」
 私が言い、哲生がそう答えた。恋人同士の会話なのに、弟の顔でまた笑った。それが何だかこたえられないくらい甘ずっぱかった。待っていたから。同じ家の中で、知らないふりをしてずっとこういうことを待っていたから。
(p140)

これから始まる、恋物語。それを想像するのも楽しいですニコニコ


そして、一気に読めてしまう、綺麗な文章を書く、作者にも脱帽です。

弥生が記憶を思い出していくというところから始まりますが、そもそも記憶を失くすというのは

「思い出したくないほどにショックなこと、もしくは思い出すことでショックが生まれてしまうこと」

なもので、この作品では、それを徐々に、丁寧に描いているので、まさに「哀しい予感」が「哀しい現実」となり、それを弥生が受け止める過程を、あたかも自分が弥生になったように読み進めることができるのです。


語りすぎましたが、では最後に、弥生の想像を引用して、それを私自身も思う願いだということにします。

「 いつの日か彼(正彦君-引用者注)はあの恐ろしい家に手を入れ、粗大ゴミのト ラックにあのゴミの山を持って行かせ、窓や門は修理される。あの家は、新居として生まれ変わるのだ。そこでおばと正彦くんは共に暮らす。お互いのやりいい ように、好き勝手に楽しく生きている。庭木は整えられ、日が射すベランダには子供もごろごろいる。もしも、私と哲生が姉弟としてではなくそこをたずねてゆ けたなら、そこだけでは、私とおばは当然のように姉妹として話をすることができたなら……(中略)……一瞬、私はつよく思った。それは許されることだ、そ ういう日は来てもいいはずだと。」
(p128-129)




   
総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★☆
キャラ:★★★★☆
読み返したい度:★★★☆