「観光?」
こんななにひとつない所になにをしに来たんだろうと思って私はそうたずねた。
「うん。知ってる? もうすぐここで百年に一度の見ものがあるのよ。」
彼女は言った。
「見もの?」
「うん。条件がそろえばね。」
「どんなこと?」
「まだ秘密。でも必ず教える。お茶をくれたから。」
(p157より)
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角川文庫に所収された『キッチン』の最後の短編です。
ストーリー的には『キッチン』と『満月』とは繋がってはいませんが、前2編と同様に愛する者の「死」を扱っているという点で共通したものがあります。
一応あらすじですが、
愛し合っていた恋人、等を事故で亡くしたさつき。
恋人の死に対して向き合うことが出来ず、ろくに寝られもしない生活を送っていたさつきは、夜明けのジョギングを日課としています。
その日も熱いお茶を持って、ジョギングをし、彼との思い出の川にかかる橋の前でいつものように一休みしていると、ふと明るい顔をした女性、うららに声をかけられ、仲良くなるのです。
冒頭に引用した部分はこの女性、うららとさつきの会話です。
観光とは思えないこの街に来て、うららはあるものを見に来たのだと言います。
うららとはその場で別れるのですが、そのとき、ふと振り返ったうららの顔は、先ほどとは違い、何とも物悲しそうな顔をして川を見つめていたのでした。
一方、等には柊という弟がいました。柊にもゆみこさんという恋人が。
さつき、等、そして柊、ゆみこは互いに仲が良く、4人で遊ぶこともしばしばありました。
しかし、柊は、等という兄と恋人であるゆみこさんを一気に失うことになる。
つまり、ある日、ゆみこさんを送るということで乗せた等の車が事故、2人はそれが原因で死んでしまったということなのです。
以来、柊はゆみこさんの高校の制服を着ている、という生活を送っていました。
さつきにとっての夜明けのジョギングと本質的には同じ行動なのでしょう。
さてさて、さつきも柊も、等とゆみこの死を乗り越えられないまま変わらぬ苦しさを胸に抱えていたのですが、うららの言っていた、百年に一度の見ものが見られる日が迫ってきました。
百年に一度の見ものとは?
うららの悲しい顔の原因とは?
さつきと柊は、愛するものの死を乗り越えられることができるのか?
では以下はネタバレ含むので、いやな方は見ないで下さい。
- キッチン (角川文庫)/吉本 ばなな
- ¥420
~1回目 2010.3.17~
結果を言ってしまえば、
百年に一度の見ものというのは、先に述べた橋で起こった不思議なできごと。
それは、七夕現象といって、大きな川のところで、死んだ人の残した思念と残された人の悲しみとがうまく反応することでかげろうとなって、残された人の目の前に死んだ人が現れる、というものなのです。
さつきは見るのです。等を。
そして、その七夕現象を知ったうららはこの街にやってきたのです。
うららもまた、変な形で死に別れた恋人と、最後の別れができたのでした。
さて、その後、さつきは“もっと強くなりたい”という気持ちを持って、次第に彼の死を受け入れ、前に向かって進むようになります。
一方、柊ですが、彼もその後会った時には、ゆみこの制服を着ていない。
なぜなら、彼も夢うつつの中、ゆみこが部屋に入ってきて、制服を持っていってしまったからでした。
彼もそれにより死を乗り越え、再び歩き始めるのでした。
さて、感想ですが、なんとな~く百年の見ものって死んだ人と何かがあるんじゃないかなぁとは予想できたのですが、予想できたとはいえ、なかなかその部分の記述が素敵です。
少し長いですが、その部分を紹介します。
「 等がいた。
川の向こう、夢や狂気でないのなら、こっちを向いて立っている人影は等だった。川をはさんで――なつかしさが胸にこみ上げ、その姿形すべてが心の中にある思い出の像と焦点を合わせる。
彼は青い夜明けのかすみの中で、こちらを見ていた。私が無茶をした時にいつもする、心配そうな瞳をしていた。ポケットに手を入れて、まっすぐ見ていた。私はその腕の中で過ごした年月を近く遠く、想った。私たちはただ見つめ合った。二人をへだてるあまりにも激しい流れを、あまりにも遠い距離を、薄れゆく月だけが見ていた。私の髪と、なつかしい等のシャツのえりが川風で夢のようにぼんやりとなびいた。
等、私と話したい?私は等と話がしたい。そばに行って、抱き合って再会を喜び合いたい。でも、でも――涙があふれた――運命はもう、私とあなたを、こんなにはっきりと川の向こうとこっちに分けてしまって、私にはなすすべがない。涙をこぼしながら、私には見ていることしかできない。等もまた、悲しそうに私を見つめる。時間が止まればいいと思い―しかし、夜明けの最初の光が射した時にすべてはゆっくりと薄れはじめた。見ている目の前で、等は遠ざかってゆく。私があせると、等は笑って手を振った。なつかしい等、そのなつかしい肩や腕の線のすべてを目に焼きつけたかった。この淡い景色も、ほほをつたう涙の熱さも、すべてを記憶したいと私は切望した。彼の腕が描くラインが残像になって空に映る。それでも彼はゆっくりと薄れ、消えていった。」
(p193-194より)
過去を懐かしみ、恋人と一緒に居たい、という気持ちはもちろんありますが、しかし運命を受け入れ、さようならの挨拶(大きく手を振る)を交し合うのです。
ここで、この時点でさつきはその悲しい運命と向き合うことになるのです。
この場面は非常に非科学的な感じがしますが、そんなことは決して問題ではなく、むしろ生きている以上誰もが何回かは経験するであろう(もちろん、恋人に限らず親や親友など)最愛の人の死に対して、この本を読んで心構えをすることが出来ましたし、救いがあると思いました。
自分が死に別れた人を愛していたのと同様に、死に別れた人も自分のことを同じくらい愛していたことが分かり、確信できれば、それだけである種の安らぎを得られるような気もします。
その吉本ばななさんの瑞々しい文章が相成って、非常に苦しくも救いのある内容に仕上がっているように感じました
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
しかし、
しかし
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
この作品において全然納得のできない点が1点あります。
それは、
「川ではなく、夢うつつの中で柊もゆみこを見た」ということ。
それじゃあ大きな川で起こる七夕現象って一体・・・
ならば別に日だってその日じゃなくていいじゃんか
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
さらにゆみこが制服を持っていってしまったから制服を着ることがなくなった、っていう感じも釈然としません。
それならば、なんらかの形で柊もその川に行くことになり、さらに「自発的に」ゆみこの制服を着ないという決心を固める、という風にしてほしかったです。
物語の核心的な部分を壊しかねないこの柊の一件のために冷めてしまったことは否定できません。
それ以外のストーリーはすごくすごく好きで、個人的には『キッチン』や『満月』以上に楽しめました
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
総合評価:★★★★
読みやすさ:★★★★★
キャラ:★★★
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