指揮者 = 料理人? | こだわりのつっこみ

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前回は、楽譜がレシピという喩えをしましたが、今回はそのレシピから料理を作る料理人について説明をしようと思います。

前回語ったように、楽譜(レシピ)通りに演奏(料理)する人はなかなかいない
むしろ、そもそも楽譜に書かれている指示がそもそも曖昧模糊としたものなので、演奏者はその人なりの解釈をして演奏を行いますビックリマーク

この「解釈」という言葉、クラシック界でそのまま通じます。

「この指揮者の解釈は自分には合わないなぁ」

なんていうと、聴いている方はもっと早く演奏してほしいのに、指揮者はゆっくり演奏している、とかいう場合に使うことが出来ます。
まあ自分は使いませんが(というかクラシックを人前で語るということをした経験がほとんどありません)(笑)

まあ、そのことは置いておいて、
楽譜に書かれたことを解釈して演奏する、というのは、料理で喩えるならば、

レシピに書かれたことを自分なりにアレンジして料理する、ということとなります。

さらに、良質の味、普段とは違う味を求める場合、多くの人は店に出かけます。
その店の料理人が作る料理を食べに行くのです。

これは、良質の音楽、普段聴いているものとは違う音楽を求める際、コンサートに出かけるのと似ています。
コンサートでの演奏を聴きに行くのです。

室内楽や独奏曲でいえばその演奏家の方々が、
オーケストラで言えば指揮者が料理人に置き換えられます。

オーケストラを例に取ると、指揮者はオーケストラの中心であり、そのオーケストラを生かすも殺すもその人次第というところがあります。
さらにその指揮者の解釈によって、同じ曲でも瑞々しくなったり、重々しくなったり、憂いを秘めたり、快活になったりするのです。
同じ「カレー」という料理を提供するにしても、店によって(もっと言えばその店の料理人によって)、味が全然違うものになりますよね。

文章だけでは心もとないので、ここで、ある1つの曲で例証してみることにします。もちろん、録音環境などに違いはありますが、曲のテンポや音の強弱などに注目して聴いてみてください。
曲は、ラヴェル作曲の「亡き王女のためのパヴァーヌ」です。カッコは個人的な印象です。

1.小澤征爾指揮・ボストン交響楽団の演奏
  (テンポはオーソドックス、若干硬い印象を受けます。)
2.
Gian-Philip Toro指揮・Collégiale Notre Dameの演奏
  (テンポは小澤よりも若干遅めで、各旋律が比較的よく歌っている印象。しかし、若干歌いすぎて間延びする感があり、また伴奏の音の一体感が乏しいです。)
3.カラヤン指揮・(恐らく)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏
  (こちらも遅いテンポ。非常にバランスがとれていて、特に弦楽器の鳴りが甘美です。ハープが他の演奏よりも表に出てきているので、一層優美な感じがします。しかし最後の5:35からは弦楽器を主体にメロディを構成してほしかったなぁ。)
4.フェラーリ指揮・ニュー・アートフィルハーモニー管弦楽団の演奏
  (テンポは遅めですが、他の演奏と比べると、最も特徴的です。例えば、2:38からの2回目の旋律に入るタイミングがこの中では最も早く、強弱の差がもっともついている演奏だと思います。最後の5:35からは弦楽器を十分に歌わせており、この部分に関しては個人的には好きです。しかし、あまりにもドラマティックすぎてこの曲には仰々しく感じてしまう部分も。)
5.オーマンディ指揮・フィラデルフィア管弦楽団の演奏
  (なんとも早い演奏です。しかし、作曲者のラヴェル自身はこの曲を早く演奏した方がいいとも語っており、それに忠実ではあるのか。こちらはこちらでいかにも「小品」という感じで良いです。しかし、音を出すところは出していますよね。)
6.ペデロッティ指揮・チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏
  (録音状態が残念ですが、テンポはゆっくりめで、ぜひともステレオ録音で聴いてみたかったと思う演奏です。特に、最後の5:55~の部分は、いい弦の響きだと思っています。)


以上、何曲か聴いていただきましたが、当たり前ですが楽譜は一緒です。
しかし、テンポ、楽器の響かせ方など、さまざまです。
正しい演奏のあるなしではなく、気に入った演奏か否かなのですニコニコ

まあ、もちろん、初めて食べる味はどれが自分が気に入っているのか分からないでしょう。
何回か食べてみて、自分に合う味が分かってくるはずです。

さて、今回のポイントは

指揮者は料理人である。