ここ最近、youtubeで辻チャンネルを見るのにハマっている私。
そう、あの、元モーニング娘。の辻ちゃんです。
作ったケーキとか、酢豚とか見ながら、レシピの参考になる!!と思いながら私はよくています。
後、買ったアイテムも「日本に帰国したらこれ、私も欲しい!」とメモしたりしています。笑
さて、この辻ちゃんを見ていると、親ってすごいなとーよく思うんです。
そして、自分の親のすごいと感じるところを改めて考えました。
セラピーに行き始めて、自分の気になる性格とかは、やはり育った家庭環境とかが影響していると考えることが多いんですが、かといって、その責任を今、親に追求するのは違うとも個人的には思っています。
彼らも人間なので、当然完璧じゃないし、必死に子育てしている中で、うまくいかないこともあったでしょう。
そこで、今回は、私が思う、両親のすごい所を書いていきたいと思います
父(1952年生まれ)
父が高校卒業後就職してすぐ、母(私の祖母)が統合失調症で、病院で生活することに。 そして、父(私の祖父)は事業に失敗し、その後、私の父が24歳の時に心臓発作で死去。
24歳の時にすでに両親は近くにおらず、祖母(私の曽祖母)と妹(叔母)の面倒を1人で見ることになります。
そして25歳で母と結婚。
33歳の時に独立して自分のお店(町の電気屋さん)を持ち、兄、姉、私の3人を育てあげました。
兄は私立の4年制大学、姉は私立高校に、私立の短大、私も4年制の私立大学と、子ども3人の学費にどれだけお金を出してくれたでしょうか。
毎日働き休みは日曜日だけ。自営業なので長期休暇も特になく、ゆっくり旅行とかも行くこともなかったでしょう。
前も少し書いた気がしますが、家族のために働くことしかしてこなかった人なのです。なので、少し前から仕事が減り、それ以外の趣味も特にないので、メンタルに来てしまった時期がありました
家族のためにこれだけ働いてきた父、尊敬という言葉しかありません。
高校時代に写真のコンクールで近畿大会に出場した事を書きましたが、その時、会場が奈良県だったんですが、そこに車で連れてってくれたことがとっても嬉しかった覚えがあります。
あと、服飾大学に通いたいといったときも、反対する母をなだめて、
「KENZO(高田賢三氏、父と同じ高校出身なのです)のようなデザイナーを目指してこい」
と言われたのも嬉しかったな。
結局KENZOにはなれなかったけれど。笑
母(1957年生まれ)
私の母は、20歳の時に父と結婚。
箱入り娘で、家から歩いて3分のバス停まで、父(私の祖父)が毎日送り向かいしていたそうです
そんな箱入り娘が、父と結婚し、突然、義理祖母と義理妹の面倒を見る事になります。 義理祖母の介護、義理妹(父の妹)と同居、そして21歳の時に私の兄が生まれ、子育ても加わります。
21歳でこれらを全てこなすなんて考えただけでもめちゃくちゃ大変ですよね
ちなみに、今でも私の母と叔母(父の妹)はあんまり仲が良くない
結婚当初、叔母(父妹)から意地悪されてたらしいです
そして、兄が生まれた2年後に姉が生まれ、さらにその5年後に私が生まれます。姉が生まれた少し後に叔母は家から出ていき、私が生まれる前に、曽祖母が亡くなります。
そして、私が生まれた直後に父が独立。
母、休む暇なし
夫婦で店をしながら、3人の子育て。
私の父は一切家事をしない人なので、母は、毎日6時30には起きて、朝食の支度、お弁当作り、洗濯、掃除、9時〜19時まで店で仕事をし、家に帰ってから夕食の準備、後片付けと、全て1人で行っていました。
自分の時間なんてひとつもなかったんだろうな・・・。
私、絶対できない
母との思い出は、母が3者面談で放った一言
「うちの子、いじめてませんか?」
普通の親なら、たぶん、「うちの子、いじめられてませんか?」って聞きますよね。 でも、私の母は「いじめてませんか?」という事を担任教師に尋ねたのです。
担任は「そんなこと聞かれたの初めてです」という反応
自分の子が被害者になる心配よりも、加害者になる心配という独特の感性。
母、おもろい!
後、母は、私がカナダに来てから、日本に帰る度に
「近くにいて欲しいとは思うけれど、カナダで生き生きしているように見えるから、あんたにはカナダが合っとるんやろうな」
と言ってくれます。 別に深い意味はないのかもしれませんが、私の幸せを願ってくれているようで嬉しくなります。
遠くに住んでいる分、日常的に親孝行ができるわけでもありません。
両親もだいぶ歳をとりました。
いつまでもあると思うな親と金。
少なくとも月一回ぐらいは電話でもかけれたらなと思っています