最近はLGBTQ2+という言葉をメディアなどでも見る事が増えました。

 

アセクシャル

アロマンティック

ノンバイナリー

 

これらの言葉も関心のある人は知っているかもしれません。

LGBTのGある私でも、これらの言葉を知ったのは本当にここ10年以内の話です。

 

私の子供の頃は、異性愛者か同性愛者、トランスジェンダーの3つぐらいぐらいの分け方(?)しか知りませんでした。

 

同性愛者のことは、巷ではまだ「ホモ」って普通に言ってたし、トランスジェンダーは、性同一性障害なんて言ってたでしょうか。

 

 

さて。

 

先日、知人に紹介されてこちらの本を読んだんです。

 

 

埋没した世界

トランスジェンダーふたりの往復書簡

 

 

この本を読みながら、性というのはとても奥深いなーと思いながら、同時にふと思ったんです。

 

「子供の頃の私に、もっといろんな知識があれば、違う人生だったのだろうか」

 

と。

 

どういうことか説明していきますね。

 

 

私は、物心ついた頃から自分は周りと違うという意識がありました。

 

私の初恋の子は女の子なんです。保育園の時の同じクラスの女の子です。

そして中学や高校でも、特定の女子に対して、何かしらの感情を持っていました。

 

その子たちと、一般的に言われる『お付き合い』もしました。

この感情は、どういう感情だったのか今でも説明ができません。

 

 

同時に、私は特定の男子に対しても特別な感情を抱いていました。 なのでこの頃から、「自分はゲイかも」と思い出していたんです。

 

そして、ある時から、『自分はゲイ』と認識し、男性との恋愛のみ行ってまいりました。 

 

現在、カナダで同性の男性と結婚しています。

 

彼との結婚生活は幸せだし、他の人に、彼に対する気持ちと同様の気持ちを抱くことも、抱いたこともありません。

 

 

でも、この本を読んで、「小さい時に、バイセクシャルやパンセクシャル、アセクシャルという知識があったら私は、自分の恋愛対象を狭めることはなかったのではないか?」と少し思ったりしたんです。

 

果たして私の恋愛対象は男10:女0なのか、少し疑心暗鬼になりはじめたのです。

 

 

でも、同時に、私は女性に対して性的関心がないことも自分で理解しています。 女性を見て、綺麗だな、美しいなと思うことはあるんですよ。ただ、それが性的欲求とは結びつかない。

 

だからといって、男性全員に性的関心を持っているわけではないし、さらにいうと、少し前に淡白な私について書いたように、私はもともと性欲自体があまりない。

 

 

そうすると、可能性の話でいうと、もしかしたら、私は、どこか、アセクシャルな部分もあるのかなーって思ったりもしたんです。 調べてみるとアセクシャルと一言に言っても、人によって違いがあるらしいです。

 

 

少し話がややこしくなってきてしまいましたねあせる

 

 

何が言いたいかというと、私たちは、時に、黒か白かはっきりしようとしすぎるところがあるのではないかと。その中にさまざまな濃さのグレーもあります。

 

さらに、モデルのアンミカさんのこの発言が先日SNSに流れてきました。

 

 

 

そう。

 

白にも200色あって、黒にいたっては300色あるんです。

 

 

 

子供・若い時の私が性に対する深い知識があり、恋愛対象=シス男性と決めつけずに、もっと広い視野を持てていたら、私の人生はまったく違うものになっていたのではないか。

 

 

ここ数日、そんな事を考えています。

 

たぶん、答えがあるものではないと思うんです。

別の未来を描きたいわけでもありません。

 

ただ、なーんとなく考えてるだけです。