中学の国語の教科書で

「北極圏12000km」
「犬ぞり単独行」

の様子をえがいた著作

『北極圏一万二千キロ』

を読んでから、

「植村直己さん」

に関心をもつようになりました。


残念なことに
植村さんはその頃から

「不運に見舞われる」

ようになり、

「冬季エベレスト登頂」
「南極最高峰
 ビンソン・マシフ単独登頂」



「いずれも断念」

に追い込まれてしまいました。


特にビンソン・マシフ断念は
フォークランド紛争勃発が原因だったので

南極に強い思い入れのあった

「植村さんの無念」

は中学生だった私にも察するに
余り有るものがありました。


植村さん最後の冒険となった

「世界初
 冬季マッキンリー単独登頂成功」

の快挙は、こうした状況下で
成し遂げられました。


その翌日下山中に

「不幸にも行方不明」

になってしまったのです。


実は植村さんは

「この14年前に夏季
 マッキンリー単独登頂に成功」

無事に生還しています。


「この時の成功体験が
 冬のマッキンリー登頂への油断に
 つながったのではないか」

という見方は当時からなされていました。


実際著作『青春を山にかけて』では

「直前に登頂成功したパーティが残置した
 食料やテントにかなり助けられた運
 に関するくだりがあります」


まともに登山をしていない私が
偉そうにはいえませんが、

この置き土産がなかったら
夏のマッキンリー登頂ももしかしたら
失敗していた可能性があったように
思います。


さらに、この時完全に自力で登頂できて
いれば、最後のマッキンリー遭難の悲劇も
避けられたのではないでしょうか。


晩年の植村さんを見ると、あれだけの
大ベテランでも運に翻弄される、成功には
運も味方につける、引き寄せる必要が
あるのだなあという思いにとらわれます。

 




最後まで
お読みいただき有難うございました

@きたがわゆういち