BONJOUR!
おはようございます!
あなたの本心、魂と深く繋がり、心地よく美しく。
自分自身と仲直りして、
本音でハッピーに生きていきたいあなたのためのヨガ。
Joyful yogaのNaoです。
本日2本目の投稿。
アンガーマネージメントの4本目。
テーマは芸術と怒り、です。
芸術人(びと)と感情、と大きく括ってもいいかな。
アーティストたちは、古来から現代に至るまで
たくさんの作品を生み出して来たのには
逆境や苦しみの果てに、ということが少なくないことは
想像に難くありません。
もちろん、歓喜の極みから生まれる作品もあれば、
美しさを追求することからのアートもあり、様々ですけれど。
何もわざわざ苦しい思いをしなくたって、
自分の思い描いたものは作ることができるのかもしれないし、
そこに立たないと見えない境地がある、てこともあるでしょう。
答えはひとつじゃなくて、人の数の分だけあると思います。
話はちょっと変わって私ごとになるのですが
私は音楽をやっていまして、
以前人生の苦しい時期、よく人に
「この苦しみを演奏や作曲に昇天させなよ」
そう言われました。
この経験が音から滲み出て、きっといい音楽が弾けるよ!
と言われると、
ありがとう!と素直に喜べる時と、
人ごとだと思って・・・
と思う時と両方あったのです。
人の気も知らないで・・・
ありがたいけれど、(迷惑でもある)
今だったらそこまで詳しく自分の話をしないでしょうね。
それは、何か芸術=苦しみがつきもの、というような
当たり前〜という雰囲気を言葉に感じたからです。
自分のことなら、そんなにポジティヴに考えられる?
特に、知り合い程度の人に言われると
逆にムッとしたりして。
今では、そういう関係の人にそこまで晒して話す自分もどうだったんだろう、
と思いますが。
それはさておき。
天才と言われたアーティストたちは、本当にすごいところを通りながら
作品を自己の分身のように産み出しています。
中でも、私が長年ずっと尊敬して止まないのは、
L.V. ベートーベン
そう、あのベートーベンです。
ベートーベンは生涯で32曲のピアノソナタを作曲していますが、
難聴になり、聞こえなくなっていたと言われる晩年に作曲しているものほど、
重厚で、ものすごい分厚い旋律が鳴り、奇跡の響きというほどに美しい。
そしてね、何か後期ソナタに入ると神がかってる感じがするの。
(前、中、後期に分けて考えて)
教会で聴くパイプオルガンのような、宗教的で畏怖さえ感じさせるような感じ。
よく知らない、という方はぜひ聞いてみてほしいです。
↑バレンボイムの演奏、ちょっと早め(に聴こえる)
↑こちらは若き日のアルゲリッチの演奏(1969年)
音源は少し質が落ちますが、テンポ感や間の取り方はこちらの方が好み♡
どうでしたか?
すごいですよね。
これを聴かずに譜面にしていたわけですよ。
(どちらも私の大好きな26番を載せました)
で、話を戻すと。
音楽家にとって聴覚って命と思っていたけど、
こんなに美しい音楽に昇華できる才の持ち主がいたってこと。
一説によると、楽器の振動(音を鳴らした時の振動)に
指揮棒(細い棒)を当てて音を判断していたのだとも言われています。
凄すぎる・・・
彼の胸に燃えるような情熱があったであろうことは想像に絶えませんが、
それ以上に、努力と諦めない心と音楽に対する愛と、
自分の運命を呪うことより、
溢れる能力を神に捧げた、
自分の好きなことの方が優っていたのでしょう。
としか言いようがない。
それに比べたら私の怒りなんて小さくて笑っちゃうようなものです。
プロアマ問わず、表現の手段を持っている人、いない人も、
そういう経験あると思います。
辛いことがある時、
くーっとなる思いを集中することに傾けて、一瞬でも忘れようとするような。
それでも集中できなくなる時はあります。
そういう時、私はまず自分をとことん愛して受け止めること。
できなくていい、と包み込んで徹底的に許すこと。
ということをしていました。
今回は少し話が色々飛んでしまいましたが、
言いたかったのは、気持ちを行動で昇華させるということについて
記してみました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!