小さな町の偉大なチーム〜『歓喜の歌は響くのか』レビュー | てぃふぉーじのある日常〜footballを添えて

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Tifosiのメンバーがサッカーについて勝手気ままにつらつら語るブログ。活動紹介やイベント告知もちょいちょいあります。

世間は日本代表のW杯出場決定が話題となり、このTifosiブログでも「お気に入りクラブ紹介」の企画がスタートしました。

が、そんなこともお構いなしにTifosi読書部(自称)の辻井はサッカー本を紹介していきますよー。

今回紹介するのは・・・・これ!

歓喜の歌は響くのか 永大産業サッカー部 創部3年目の天皇杯決勝 (角川文庫)/角川書店(角川グループパブリッシング)




満場一致で、僕の読んだ5月の月間サッカー本MVPですね。間違いない。


日本にまだJリーグがなかった頃、もちろんW杯に出場したこともなく、プロチームもありませんでした。

当時、日本サッカー最高峰のリーグは「日本サッカーリーグ(JSL)」と呼ばれ、日立製作所サッカー部(現・柏レイソル)や古河電工サッカー部(現・ジェフ千葉)などといった実業団チームで優勝を争っていました。(例外⇒読売クラブ(現・東京ヴェルディ)etc)



「3年で日本リーグ1部に上がれ」

そう命じたのは、永大産業社長深尾茂。ワンマンで有名な彼は「日本一のスポーツチームのオーナーになる」という夢があった。

命じられた男の名は、河口洋。一からチームを創設して3年で日本のトップリーグに上がることは「制度上」不可能。

しかし、河口は不可能を可能にし、永大産業サッカー部を創部3年で日本リーグ1部に上げ、さらには天皇杯の決勝(元旦にやってるね)までチームは登り詰める・・・・。

と、いうあらすじの小説です。

・・・・はい、小説なんていうのはウソです。これは全部ノンフィクション、すなわち本当にあった話なのです( ̄□ ̄;)!!

小説と勘違いしてしまうくらい破天荒かつ痛快な展開には、思わず夢中になること間違いなし。

Jリーグ誕生前の日本サッカー事情については、書籍化されるのもなかなか珍しいので必見です。



・・・・まあそんなこと言いたいんじゃないけどね。


この物語は決してハッピーエンドでは終わりません。

永大産業自体が業績不振になり破綻、チームを天皇杯決勝へ導いた大久保監督は無期登録処分を受け失意のうちにチームを去ります。そして、河口も会社により退部させられる。こうして永大産業サッカー部はわずか5年で廃部を迎えることになってしまいました。


永大サッカー部の本拠地は、工場のあった山口県平生町という小さな町。当時の日本リーグのチームはもちろん、Jリーグクラブでさえもこのような小さな町が本拠地になることはほとんどないです。

最初は無関心だった従業員や町民も、次第にサッカーの虜になっていきます。サッカー不毛の土地だった町が、「サッカー命」の町に変貌をします。

会社や町には応援団や後援会が設立され、町の老若男女が皆週末の試合結果に一喜一憂する。「地域密着」を掲げるJリーグの理想の一つがそこにはありました。

永大サッカー部が日本リーグに参入してから、山口県のサッカー少年団には3000人もの団員が集まりました。永大は山口県のサッカー界のシンボルであり、永大のイレブンは山口のサッカー少年たちの憧れでした。

まさに、永大サッカー部は「企業の持ち物」であるのにも関わらず「オラが町のチーム」を体現していたのです。


じゃあ、そんな永大サッカー部は何も残すことなく彗星のように消えてしまったのか?


個人的に、この本を読むべきすべての理由は最後のエピローグに集約されていると思っています。

エピローグでは、永大の選手たちや平生町のその後が記されています。

廃部後、他チームに移籍したメンバーの他に、この平生町で残されたサッカー少年たちの指導に力を尽くしたメンバーがいました。

ある選手は社員として永大に残る傍ら、大島ジュニアという少年サッカークラブで指導しています。

その卒業生にはなんと、元日本代表の岩政大樹(鹿島アントラーズ)選手が。

また、ある選手は数々の有力チームの誘いをすべて断り、周東FCという少年クラブチームで指導する道を選びました。今や、全国大会でベスト8を2回成し遂げた名門チームに花開きました。

そして、サッカー部の拠点だった永大グラウンドは、地元行政やサッカー部に理解のある社員の尽力で売却を免れ、今もサッカー少年たちのための場として使われています。

永大サッカー部は消えても、残した足跡は消えていなかったのです。



「歓喜の歌は響くのか」

タイトルにもあるこの「歓喜の歌」は、天皇杯決勝で優勝したときに、選手やサポーターからあがる歓喜の歌だったのに間違いでしょう。

結局決勝で破れ、永大サッカー部に歓喜の歌が響くことはありませんでした。

あれから30年以上が経ち、2007、2012年と鹿島アントラーズが天皇杯で優勝しました。

そのメンバーの中には、永大サッカー部が山口に蒔いた種から育った岩政選手の姿が。

時間は流れ、今咲いている花について誰が種を蒔いたかなんて覚えている人はいなくなっていくでしょう。

そしてその花さえも時とともに姿形を変えていきます。

でも、しかし、日本一のチームを夢見て戦った人々の夢は、大きな足跡として今も残っています。




永大サッカー部が廃部されて以降、山口県にはトップリーグで活躍するサッカークラブは現れていません。

ところが、今年入ったニュースによると現在地域リーグに在籍している「レノファ山口」が来年新設されるJ3への参入を目指すようです。

来年から参入できるかどうかは微妙なラインですが、参入を目指している全国の地域リーグ所属クラブの中では、一番可能性があると個人的には思っています。

いつかは、天皇杯決勝で歓喜の歌を響かせてほしいですね。
(もちろん対戦相手はコンサドーレ以外で)