最初の職場は。。。 | のほほん介護士、海を渡る。

のほほん介護士、海を渡る。

日本、ニュージーランド、オーストラリアで介護して10年あまり。職場、国を転々としながらも介護を続けてるHarumiの奮闘記録とつれづれなるままに日常のことも書いています。2013年7月娘が生まれました。子育てのことも書いてます。

その老人ホームは100床、そのうち虚弱棟77床、認知棟23床。


勤務は2交代で、

早番 6時半~3時半

日勤 8時半~5時半

遅番 10時~7時

夜勤 午後4時~翌朝10時。


朝5時半くらいから入居者を起こして、

朝食後に寝かせて、

おむつ交換が終わったらまた起こして、

お昼が終わったらまた寝かせて、

オムツが終わったらまた起こして、

おやつが終わったらまた寝かせて、

また交換して起こして、

夕ご飯食べてまた寝かせる。。。


移乗の事だけ考えてもこんな感じです。



しかも、食事のときは虚弱棟77人中70人が1階下の食堂にエレベーターで降りる。

終わったら戻すの繰り返し。施設が広すぎるし、忙しすぎる&車椅子の人数が多すぎるから、一人で2台引きとか当たり前でした。

(本当はそんなことしてはいけません!!)




食事の前とあとで何人寝かせたり起こしたりしただろう。



1日に換算すると何人を移乗したんだろう。。。もう数え切れません。


時には自分より大きな、体重の重い人たちも持ち上げたりしなくてはなりませんでした。



夜勤なんて、夜勤明けなのに朝食後に10人ベッドに寝かすとか。

もうふらふら過ぎて入居者がこっそりくれる小さなチョコレートでなんとかがんばってました。


ボランティア残業も毎日のようにあったりして。夜勤明けでその次の日の夜勤がやってくる時間まで職場にいたり。


若いからできたんだろうな。。。


くたくたになりすぎて、車で45分の道のり、夜勤明けには運転できずに、

帰る道にあるショッピングセンターの駐車場で仮眠したり、

がんばって帰ろうと思って信号待ちをしていたら、停車していたトラックの後ろに気づかず並んで、何十分もたっていたこともありました。



22のころはまだまだ油断してましたね。。。


とはいえ、体力的に限界が来て、2年で退職。


その後は念願だったシドニーへ語学留学。