岐南町は何度も言ったことのある街だが、こんな秘密の地下室で何人も人体実験を行っていそうな医院は見たことがない。周りが雑木林に囲まれているのがダメだし、屋根が赤いのが言い訳不能だと思う。
一時的な精神と身体の不調から、少しずつ抜けてきたように思われる。
なお、今は午前三時近くだ。眠れなくなってしまっているのでは? 目覚ましは十時にセットしてある。今から寝ても7時間、午前四時くらいまで眠りがずれ込んでも6時間だ。問題はない。
寝て起きた。
結局、四時半くらいまで眠れず、十時半くらいに起床した。昼寝もせねばならない。
以下の文章は、そうして朝方に眠る直前に書いたものだ。特に文の整合性を保つのも面倒なので、何の前置きもなく行く。
結局私は、冷めきっているのだろう。
南極の山脈ほどではないが、さながらグリーンランドの永久凍土じみた―――そのふたつの違いもよく分からないが、とにかく一生涯かけても溶けることのない凍り付いた部分というのが、私の中心部にあるのだ。
ほかの人々がワーッと盛り上がっているのを「この人たちは何をしているんだろう」と思いながら、眺めている時間が延々と続いている。
私は私の命を「産まれてくる甲斐の無かった存在」と批評しているが、まさにそういうところだろう。
逆説的に、そういう部分があるからこそ今日まで生きているのだと思う。
ここで、寝た。再び、以下、昼寝の直前に書いた文章↓
根は良い人、という言い回しを借りるなら、私は、根は良い人の振りができる人、だ。
だから、こうして体調が落ち込み、そういう振る舞いができなくなっても「今は良い人の振りができませんが、もう少し経てばまたできるようになるので、しばらく放っておいてください」と言えばいいのだろう。いいのだろうか。
冗談のつもりで書いてみたが、悪くはないのかもしれない。
自分が自分であることなどどうでもいいという私の心性を、一番明快に表しているといえる。
統合失調症じみた感情的な人間どものありさまも、これで少しは許せるというものである。
この書き方は「良い人の振りができる者」の文なのだろうか。
