武道館ですらも公演中2時間以上客電ついたままだったし、佐々木亮介はモニターなしで歌ってたし、いつも通り開演10分前にギターケース背負って客席通って現れてリハ始めてたし終わった後はケース背負って客席通って消えていった...
— しゃろん (@_gearblues_) May 6, 2026
全てが型破りバンド a flood of circle... https://t.co/1QfBUf81Rg
結局ずーっと客電ついたままで照明演出も紙吹雪みたいな特効も一切なし、映像も手ぶれまくりのワンカメでスイッチングなし。アンコールまで全部終わったら、佐々木亮介は弾いてたギターをギターケースにしまって、それを背負って缶チューハイ飲みながらステージ降りて客席の間を歩いて退場。ここ最近の… https://t.co/j9uzHMWYbP
— 柴 那典 / 新刊『ヒットの復権』5月8日発売 (@shiba710) May 6, 2026
15年叫んでる 同じようなメロディ
a flood of circleはこの曲で初めて知った、というわけではないのだが、それまでは認知しつつもあまり響いてこないバンドであった。だが引用した歌詞が耳に入った瞬間、いきなりプレイリストの上位に躍り出たのだった。
私はこういうところがある。ACIDMANもストレイテナーも、なんならL'Arc~en~cielでさえ、キャリアをある程度重ねてから出した“ある一曲”で急に好きになった。
で、フラッドオブサークルの話である。
ちょうど上述した“虫けらの詩”をリリースしたタームで、ボーカルの佐々木亮介が、名古屋のFMに出演していたのを偶然聞いた。
本人が自分自身を「別にストリート出身というわけでもなし、割と裕福な一般家庭に育ってハングリーなパンクをやってるちょっと恥ずかしいやつ」と、非常に批評的に見ていたのが印象的だった。聞き手の女性DJからも「ひとつひとつ逆を張って、世界に対してこれがパンクだって主張してるんですね」という評に、苦笑いで恥ずかしがっていた。
苦笑いのパンク。これなのだ。私の感性に響いたのは。
衝動的にやっているようで、やりきれない。ある種の含羞(がんしゅうと読む。私は今日初めて知った)が根底にある。「衝動的にやってるようで実は狂い切れてないんだよね、ごめんね」とでもいうような立ち居振る舞い。
衝動性を批評的にやっちゃってる自分を鳥瞰できちゃう含羞と苦笑のパンクロッカー。これが、佐々木のたどりついたセルフブランディングなのであろうし、それでいて「だせぇことやってるな、おれ」と、己を冷徹に裁き続けている。ように、私には見える。
武道館の客電を点けたまま、簡素なステージでモニターもなしに(これはさすがにイヤモニを使っていないというだけの話だとは思うが)二時間強のステージを終え、あとは酒を飲みながら普通にステージを降りて、終演。というのも、まぁ要するに「やってる」わけではある。無頼気取りを演出している。それを、お客さんもきっと察している。15年以上続けてこられたのは、そうしたリスナーとの丁寧な関係の醸成もあるはずだ。
音楽性に反するかのように、頭が良すぎるバンド。
しかし、おそらくどのバンドやアーティストも、基本的には頭のいい人たちばかりだとは思う。そうでなければ生き残れる業界ではない。その業界の端の端の先端にかろうじて片足でぶら下がっているような私でもそれは分かる、それは間違いない。
それにもっと早く気付いていれば、より中央に近いところに行けただろうか。無理だろうな。私はそもそも、歌が下手すぎた。