親愛なる自殺志願者へ~『親愛なる自殺志願者へ』は、一旦カクヨムに完全移行します。 | ライブハウスの最後尾より

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

昼間にシャワー、夜に風呂に入る者です。

 

 

突然ですが、

『親愛なる自殺志願者へ』というカテゴリを、

こちらのブログでは一旦、終了します。

 

 

『ライブハウスの最後尾より』は、

音楽のことや、映画のこと、小説のこと、

個人的な雑記や創作日記などを書くブログにします。

 

 

で、『親愛なる~』は、https://kakuyomu.jp/works/1177354054888097541

 

 

こちらでやって行きます。

 

もうずいぶん前からやってるじゃないか。

と、言われればそれまでなんですが、違うの。

向こうは文体が少々固いので、性格を分けようとしていたのです。

 

うん。

 

(^ω^ )できませんでした。

 

結局おんなじようなことを書いてるだけなので当然ですが。

 

 

なので、ブログ版は一旦終了。

 

もし、何らかの理由で、

カクヨムさんサイドから掲載を拒否られたら、

しれっと戻ってきます。

 

 

というわけで、

最終回に相応しく、

いろいろと振り返ってみます。

 

 

※初めて読む方へ。

この『親愛なる自殺志願者へ』は大なり小なり希死念慮から逃れられない人々に向けて書いておりますので、死にたいと思ったことがない方は読まなくても大丈夫ですし、読まない方がいいかと思われます。

 

さらに、ブログ主は自身の物心ついたときから持ち合わせる空虚さと、ブログでの長い長い思索の果てに、生きることや死ぬことに興味が無い『スキゾイド村の虚無太郎』というどうしようもない人格を獲得するに至っています。

拙ブログのスタンスとしては、「死にたい」という言葉を「この苦痛や苦悩は死ぬことでしか解消できなさそうだ」というメッセージとして捉え、自殺をどうしようもなく行き詰った果てに取る選択肢の一つ、または『死を思わずには生きていられない人の業』として“全肯定”しています。

 

また、「生きているのならば何らかの形で社会に貢献しなければならない、というお仕着せの価値観・思想に追い詰められるくらいならばとっとと捨ててしまえ」と推奨しています。

辛すぎる人生を緩和するためのある種のコーピングとして、「死にたい」という願望を持ち続けることは自由です。が、それ以外にも楽になる方法があるのではないだろうかと、ついでだから生きているうちは考え続けてみようという趣旨の文章です。

 

コメントを頂けると嬉しいカテゴリでもあります。よろしくお願い致します。

 


 

当ブログ直近記事です。

 

ある種の集大成感はあります。

 

自分の書きたいことは、全部書いたと思います。


 

 

今思えば超大作。

 

これを書き切ったことで、

新たな地平が開けた気がします。

 

ただ自殺について考えるだけでなく、

広く“死”や“苦しみ”にフォーカスするようになりました。

 

 


これも、

いろいろとブレイクスルーした感触がある記事です。

 

「あれ、もうなんにも辛くないな」

と、思えた瞬間だった。かも、しれません。

 

 


『反出生主義』

 

自殺志願者であれば、誰もが通る道です。

 

もう自分は狭義の反出生主義者ではないかもしれませんが、

 

「絶対に人は生まれてこない方がいい。

それはそれとして生まれてきてしまった者は大切な同胞だ」

 

という意識は持ち続けています。

 

生殖行為に快楽が伴うのが、

まさに、遺伝子が仕掛けた最大の罠だとも思います。

 

 


 

すべてはここから始まった。

 

今回で当ブログの記事は80本目。

 

七年間も書き続けて、まだぜんぜん書き足りないです。

 

きっと、死ぬその一日前、当日ですら書き続けることでしょう。

 

 

ひとまず、ブログではお別れです。

 

お元気ではないでしょうが、お元気で。

 

親愛なる自殺志願者へ