どうも( ^_^)/
明日がライブな者です。
今日朝起きたとき、
唾を飲むと、
少し耳が痛い。
一瞬不安になりましたが、
すぐ収まってくれました。
かように、
ボーカルというのは、
微かな体調の変化に、
一喜一憂します。
なにしろ、
人体、および喉というのは、
何をどうすればよくなるのか、
未だによく分からない、
ブラックボックスだからです。
水は飲んだ方が良いけど、
飲み過ぎてもダメだし、
ボイスケア喉飴とか、
顆粒タイプの龍角散とか、
果ては漢方栄養ドリンクまで、
いろいろ試して、
今はぜんぶやってます。
無論、
普段の体調管理も、
万全を期し、
決して風邪などひかないように
気を付けてはいます。
俺のようなド素人が
それなのだから、
プロミュージシャンは
如何ほどのことをやっているのか、
それでも、
ダメなときはダメなのです。
そういった意味で、
とてもヒリヒリとした、
ドキュメンタリーなライブに、
行ってきました。
CIVILIAN Live Tour 2020
“はじめましてこんにちは”
名古屋新栄アポロベイス
東阪名そして最後にまた東京と、
回っていくツアーの名古屋編。
「あれ?」と思ったのは、
三曲目の“赫色”でした。
もともと、コヤマさんは
ハスキーなざらつき感が特徴の
ボーカルです。
それにしては、かすれている。
そして、中音域から高音域に
スムーズに上がっていかない。
声帯が炎症を起こして、
上手く閉じないと、
こういうことになります。
逆に、喉を締めあげる
シャウトのような声は出ています。
力技で声帯を閉じればまだ出ると、
しかし、喉へのダメージは大きいはずです。
CIVILIANの曲は、
Lyu:Lyu時代も含めて、
キーが高いし、
さらにライブでは、
ギターの難しいフレーズも
弾きながら歌います。
ブレス(息継ぎ)の位置や、
声の当て方、
どれくらいシャウトして、
負担のかからない裏声でしのぐのか、
そして、
それを二時間、もたせられるのか、
緊張感のあるライブが始まりました。
そもそも、
スリーピースバンドというのは、
メンバー個々に演奏の責任の比重が大きい。
一人がトチったらフォローが難しい、
とてもヒリヒリとした形態で、
だからこそかっこいいのですが、
そこでさらに、
コンディション不良なボーカルを抱えていると、
これはもう、ある種の鉄火場、
バンドのキャリアと腕の見せ所です。
その意味で、
リズム隊二人の仕事は
素晴らしかったです。
純市さんはMCで
冗談めかして
「(12年やって)上手くなったよね、俺ら」
なんて言ってましたが、
ある種、
万感の思いだったのかもしれません。
コヤマヒデカズ ≒ ナノウ@koyama_nanou
名古屋ありがとうー、情けない歌で本当にごめんなさい。朝起きた時から調子が悪いのは分かっていて、そういう時のライブというのはもはや処刑台に上がるような気分なんだけど、皆が見ていてくれたからどうにか最後まで出来ました。必ずパーフェクトなコンディションでまた名古屋に来ます。
2020年02月21日 22:40
終演後に、
こうツイートしたコヤマさんも、
不本意ではありつつも
今の自分のすべてを曝け出す、
つまり“ライブ”ってやつを、
見せてくれました。
個人的には、
こういう方が好きだったりします。
今にもライブが破綻するかもしれない、
ギリギリの緊張感の中、
全身全霊を懸けて歌い続ける、
その姿はアーティストであると同時に、
アスリートでもあって、
俺はその両面に、
感銘を受けます。
ワンマン公演はこれで終わりということで、
セットリストの一曲一曲をみていきます。
イントロとしての詩の朗読が終わって、
始まったのは、なんと“I”。
まねきケチャとのコラボソングで、
女性の歌ですが、
一人でも歌えるようです。
ミディアムなポエトリーバラードで
開幕した後は、
“一般生命論”
“赫色”
“残り物の羊”
“何度でも”
と、高速なロックチューン連発です。
喉に不安はあっても、
セットリストに妥協はしません。
あと、コヤマさん、
喉が良くないのに、
水とかお茶とか飲まないんですね。
(飲んでいたかもしれません。
何しろ、ブログのタイトル通り、
いつも最後尾から観ているものですから。)
生で初めて“何度でも”
を聴きましたが、オケとの混ざり方も
すごく良くて、収録されたバージョンより
ライブの方が好きになりました。
「人間の細胞が一日でほぼ
そっくり入れ替わってしまうように、
また改めて初めましてという気持ちで
ライブをやりにきました」
といった短いMCのあと、
ツアータイトルにもなった
“初めまして”
裏声と地声の切り替えに苦戦していました。
“爽やかな逃走”
“Y”
と、ロックバラードが続く構成、
喉が休まるかなと思ったら、
実はこういう曲の方が繊細で大変だったようです。
ただ、ひっくり返り続ける歌声も、
そこはかとない、“弱さ”が
表現されてもいるようで、
詞の物語には合っているなと
感じました。
ミディアムパートはまだ続き、
“セントエルモ”
“campanula”
のエモーショナルラブソング二曲は、
そろそろ、
本日の喉の扱いにも慣れたように
見受けられました。
11曲目。
本日のハイライトといっていい
新曲が披露されました。
ニュー・シビリアンというか、
まるでニッケルバックのような、
重心の低いグルーブがうねる
心臓の深い鼓動のような、
重低音ロックナンバーでした。
シリアスさを緩和するかのように、
“ハッピーホロウと神様倶楽部”
“ランララ”
の、愉快で乗れる、だけじゃない、
我々の普通の自意識を
抉ってくる歌詞の曲をぶつけます。
苦しい中盤戦を乗り越え、
終わりが見えてきました。
いつになったらリリースされるんだ
“ぜんぶあんたのせい”
と、オーディエンスの力を目いっぱい借りた
“生者の行進”で上げに上げた
ボルテージを、
“メシア”の神聖な調べで整え、
ベースが主役のロックバラード、
Lyu:Lyu時代最後の名曲
“ディストーテッド・アガペー”で、
本編は終了しました。
いや、まだ終わらない。
アンコールは、
てっきり一曲で終わりかと思いきや、
純市さんが煽りに煽る
“カッターナイフと冷たい夜”のあと、
“暁”のイントロ。
原点にして頂点の一曲を演り切って、
すべて出し切って、
Live=生き様を見せ切って、
名古屋公演を締めてくれました。