親愛なる自殺志願者へ~あのとき死ななかった自分への手紙 | ライブハウスの最後尾より

ライブハウスの最後尾より

邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/

 

 

長雨は鬱陶しいなと思いつつ、止んだら止んだで何だかつまらない者です。

 

 

生きているのは、ただただ鬱陶しいです。

 

 

※初めて読む方へ。

この『親愛なる自殺志願者へ』は大なり小なり希死念慮から逃れられない人々に向けて書いておりますので、死にたいと思ったことがない方は読まなくても大丈夫ですし、読まない方がいいかと思われます。

拙ブログのスタンスとしては、「死にたい」という言葉を「この苦痛や苦悩は死ぬことでしか解消できなさそうだ」というメッセージとして捉え、自殺をどうしようもなく行き詰った果てに取る選択肢の一つ、または『死を思わずには生きていられない人の業』として“全肯定”しています。

また、「それ以外にも楽になる方法があるのではないだろうか」と生きている限り考え続けてみようという趣旨の文章でもあり、コメントを頂けると嬉しいカテゴリでもあります。よろしくお願い致します。

 

 

 

こちらに書いたように、先日ひょっとしたら死んでいました。なので、今は非常に憂鬱な気分です。

 

 

死にそうになったことにではなく、死ななかったことにです。

 

 

寝惚けた拍子に後頭部を強打して死亡、なんて間抜けな顛末ですが、一時的に視力を失くし、呼吸困難に陥り、意識が朦朧とする中、「これでやっと終わりにできる」とも思っていました。

 

 

俺の希死念慮は、積極的な自殺にはあまり向かわない類のものです。故に、まるで健常者のようにふるまうこともできますが、実態としては、上記するような不慮の事故による死を常に願っています。

 

 

しかし同時に、肉体的苦痛や精神的な艱難辛苦(かんなんしんく)をこれでもかと避け、逃げまくる生き方を選択してきたことが災いして、この歳までそうした“ピンチ”に出くわしませんでした。

 

 

そうしてきた中での千載一遇のチャンスだったわけです。がっくりと気落ちしています。やっとおしまいにできると思ったのにこの仕打ち。日頃の行いが良くなかったのでしょう。

 

 

ここ三日は、ため息ばかり吐いています。本当に、いい加減早く終わってほしいです。

 

 

しかしながら、悪いことばかりでもありません。

 

 

こういったことがあってもなお、俺の希死念慮に一点の揺らぎもないこと。「生きてて良かった」なんて一つも思わないこと。『事故死だろうと病死だろうと殺人だろうと自殺だろうと、その人が死んだときが寿命』という考えにより焦点が合ったこと。

 

 

人間として、行き止まりに立っている自覚がより強固になりました。死にかけたあの日の自分にかけてやる言葉は一つ

 

「お前の考えは間違ってなかった」

 

です。