世界に働きかける意思を問う~レイ・ブラッドベリ/華氏451度 | ライブハウスの最後尾より

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どうも( ^_^)/

 

 

本は大体電車の中で読む者です。

 

 

レイ・ブラッドベリ/華氏451度

 

 

 

 

 

家が燃えなくなった代わりに本が燃やされるようになった時代。消防士が消火器を持つことはなく、昇火器を振り回すファイアーマンが跋扈する世界で、主人公のガイ・モンターグは、昇火士の仕事を終えた道すがら、イカれた少女に出会います。

 

 

前回感想を書いた『1984年』に並び、ディストピア物の傑作として名高い本作に出てくるヒロインのクラリスは、我々の世界の基準から見ても、なかなか変な女の子です。

 

 

雨の中を口を開けて歩いていたり、突然タンポポの花を人の口元に押し付けてきたり、そのへんで拾った木の葉をドアにピンで留めていたり、ですが、非常に活き活きとして見えるのは、彼女が、自分から世界に働きかけようとしているからだと思います。

 

 

ところで、俺が本を電車で読むのは、読書がいつでもやめていい娯楽だからです。一番自分のペースでできる趣味であり、そうすることに価値があると思っているからです。

 

 

作中のディストピアでは、本の代わりに、テレビやラジオといった完全に受け身のメディアが隆盛を極めており、市民はただ与えられるばかりの娯楽や情報のみに満足しています。

 

 

要するに、『華氏451度』の世界の人間ほとんどが、ただ漫然と開けている口の中に入ってくる無味無臭の雨みたいなもので満足しているということです。

 

 

クラリスは、まさに口を開けて雨を受け止めている少女ですが、それが能動的な欲求によるものだというところが、根本的な違いです。

 

 

不自由極まる世界だということすら自覚できないような世界で自由奔放に生きている人間と出会ったことで価値観を揺さぶられた男が危険なサバイバルへと身を投じていく過程は、本編を読んでいただくとして、ちょっとこの本の作者レイ・ブラッドベリについて書きます。

 

 

実は、以前にも『火星年代記』というこれまたSFの名作を手に取ったはいいものの、ポエミーな文章がどうにもとっつき辛くて途中で断念した経験があります。

 

 

しかし、それなりに面白さは分かっていたのでいつか再挑戦しようと思っていた矢先、『火星年代記』に比べるとページが少ない本作を手にしたので、まずはこちらでブラッドベリの文章に慣れて、そこからまた読み直そうとしたわけです。

 

 

なんとか読み終えたものの、やっぱり、ちょっと俺の好みとは違うのか、なかなか進みませんでした。

 

 

解説文にもありましたが、どうやらこの作品は翻訳が非常に難しい代物らしく、かなり苦労して訳されてきたようです。恐らく、このハヤカワの新訳版が一番読み易いと思われるので、これから読む方はお勧めしておきます。

 

 

一つ絶対に忘れてはならないことがある。お前は重要ではない、お前は何者でもない、という思いだ。(中略)ずっと昔、本を手に持っていた時代でさえ、われわれは本から得たものをまともに利用してはいなかった。われわれは死者を侮辱することばかりに汲々としていた。われわれより先にこの世を去ったあわれな人たちの墓に唾を吐きかけるようなことばかりしていた。われわれは来週、来月、来年と、多くの孤独な人々に出会うことになるだろう。彼らに、何をしているのかと尋ねられたら、こう答えればいい。われわれは記憶しているのだ、と。長い目で見れば、それが結局勝利につながることになる。

 

 

何となくでもいいから、この引用した文章に感銘を受ける部分があれば読んでみるべきだと思います。この文章は≪そして、いつの日か~≫と続くのですが、それが何なのか、是非読んで、確かめてみてください。

 

 

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