今日も敗北を抱えて生きるすべての魂へ~それでも世界が続くなら/狐と葡萄 | ライブハウスの最後尾より

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邦楽ロックをライブハウスの最後尾から見つめていきます。個人的な創作物の発表も行っていきます。

どうも( ^_^)/


定期的に胸が苦しくなる者です。


こうなる度に何らかの病気を疑うのですが、寝ると治るので気のせいだったと思って結局この歳まで生きてしまいました。



それでも世界が続くなら
狐と葡萄








01.狐と葡萄





木に生ったブドウを食べたい狐が何度も飛び跳ねてそれを取ろうとする。けれど、果たせず、「この葡萄は酸っぱくて食べられないはずだからいらない」といって去っていく。


俺は、すっぱい葡萄という言葉が好きではありません。


自分一人の力で精一杯頑張ってそれでも手に入らなくて、その後にポロッと漏れた口惜しさや悔しさを「負け惜しみ」などと言われる筋合いはない、と思っているからです。


負けたことなんか、誰よりも自分が一番よく分かっています。


また、往々にして、汚れた自分を許せないのは、汚した誰かを許せてしまうような人間です。


消せない“黒星”を白日の下に晒して、負け惜しんだ自分を曝け出して、そうやってできた三分半の歌が銃弾のように届き、響く。


寓話やたとえ話に、いくら腹を立てても仕方ないのですが、一人ぼっちで飛び跳ねているから欲しいものに届かないのだということはずっと思い続けていくと思います。


さて、狐と葡萄という言葉に対しての文句はこれくらいにして、中身、歌詞について書きます。


印象的なリフを繰り返すスピード感のある、ストレートなロックチューン。最近のそれでも世界が続くならにある深いリバーブのかかったギターは鳴りをひそめ、クリーンで繊細なフレーズで覆われています。


まずは、母子家庭でいじめ被害者で『正義の人』だった過去が語られます。


正しいことをしたかったが、やり通せなかったことが、“葡萄”であるようです。


無邪気な正義感で助けたのかったのは、普通じゃない病気の女の子で、いじめられている自分を責めている。


正しくはあれなかった。食べられなかった葡萄を見上げて、負け惜しみを言う負けた人間になってしまった。汚れてしまった。


そんな“汚点”を直視して、間違っていてもいいから、目の前にある傷だとか温かさだとかに触れたいのだという、とても素直で痛々しい願いが込もったサビの歌詞は、とてもギリギリで苦しい希望を抱かせます。


スピード感はあると書きましたが、爽快感はありません。聴けば聴くほど、眉間に皺が寄っていき、言葉が歌が深刻に響いてきます。


02.弱者の行進





タイトルの元ネタは『聖者の行進』、小学生の時に音楽の授業で聴いたはずなのに、どんな曲だったのかは知りませんでした。黒人の葬儀に使われていた曲だったんですね。


聖者になれなかった弱者の行進。

「弱者でも何でもいいっていうか弱者だとか勝手に決めつけるなゴチャゴチャうるせえよ、とりあえず俺たちは生きてくぞ文句あるか」

という曲だと思いました。違うかもしれませんが。


この曲を聴きながら、「真面目だ」と評価されることが多かったことを思い出しました。


別に真面目だったわけではなく、グレるほどの甲斐性もなかっただけなのですが、特に害もないので放っておきました。


ただ、どうにも居心地が悪かったのは「真面目にやっている人間が損をする」という言説を聞いたときです。


損をすると思うのなら不真面目で自分勝手に生きていけばいいじゃないかと思いつつ、気持ちは分からないでもなかったからです。


言われたこと以外に何もやらない怠惰の裏返しとしての“真面目”評にただ乗りしていた俺とは違って、我慢して真面目でいるという役割を押し付けられている人の存在を知っているから、安易な答えを提出する気にはなれません。


誰かに言われた正しさを実践しても、全然いいことがないのは、誰にも分からないことでしょう。この歌もまた、胸が苦しくなって、そのまま終わります。


聖者の行進は葬儀の歌だと書きました。埋葬時は悲しげに、埋葬後は賑やかなパレードをするそうです。お仕着せの“聖者”の骸はどこぞにほっぽり捨てて、明るく楽しい行進が始められればいいと思いました。


03.僕らに許された時間


タイトルが素晴らしい。


誰が許して誰に許されなかった時間なのかという問いは、とりあえず脇に除けて、“僕らに許された時間”という文字列から、様々な痛みを伴った感情が呼び起こされざるを得ないのです。


『私たちに許された特別な時間の終わり』という映画のために書き下ろされたというギター一本弾き語りの楽曲は、とても声が近いところで歌われていて、言葉も生々しく刺さってきます。


許された時間が終わっても、明日は来る。そんな希望とは程遠い場所にある厳然たる現実に、望む望まざるにかかわらず生きていてしまっている“僕ら”は、そんな世界と、ガチで戦わなければいけない。


最後に、≪挨拶をしなきゃね≫という歌詞の着想元と思われる曲を置いておきます。増田壮太さん、享年27歳。なぜみんな、この歳で死んでしまうのか。ちなみに、俺は来年27です。





終わらない世界と、終わってしまったしまった世界の音楽は、どちらが美しいでしょうか。どちらが、聴く者の心に届くでしょうか。