どんなに人生が汚く散らかっても、死ねば綺麗になることもない、という話。 | 2026.1/1 19:52~
どうも( ^_^)/


この時期から大掃除を始める者です。


毎年、買った本や雑誌は容易に処分・整理できますが、CDがどうしても難しいです。


一度PCが完全にクラッシュしてからというもの、HDDに対する信頼度が失墜したまま上がり目のない状態ですので、やはりパッケージされたディスクを持っていたいけれど、年々増え続けていくそれを置くスペースがありません。


基本的に、一生耳にしていたい良いアルバムばかりなので棄てたり売るなどもってのほかです。悩ましい。


俗物の俺は断捨離などという修行僧的所業はまったく肌に合いません。たとえ一念発起したとしても、一ヶ月もすれば元通りでしょう。


何かに憑かれたかの如く過激な右翼僧となり果てて部屋ごと燃やしでもしなければ本当の意味で“綺麗に”はならないと断言できます。


どうせ一年後にはまた物が増えているのだと思いつつも、それでも毎年同じ時期に少しずつ手を付けなければ完遂しないことなのだと自分に言い聞かせてせっせと片づけをしているわけですが、脳の方は年末年始関係なくとっ散らかっていますので、今回も整理すべくブログに書き出してみたいと思います。


※これを読むのが初めての方へ

この『親愛なる自殺志願者へ』というブログカテゴリは、生きることに疲れ切ってネットでも見てるしか気力がない人に向けた、ちょっとした安息所になればいいと思ってここ数年不定期に書き続けているものです。


自殺を推奨も否定もしない。「死にたい」という意思を持つすべての“希死念慮仲間”に親愛の情を込めた手紙を書くように記していく文章です。



毎年、遺書を更新していることは以前にも書きました。


中身はすべて突発的な死後の事務手続き的なことです。


信頼性ゼロのHDDに何も入っていないわけではないし、CDの購入先で得意客と化しているタワレコオンラインの登録も解除してもらわねばならないし、SNSのパスワードや各種ID、悪名高いマイナンバーに至るまで(まだ届いてませんが)、ちゃんとしないといつまでも残り続けてしまいます。


“遺書”という文字列から連想される情緒的な部分は一切ありません。


それにしても、なんということか、俺は死んでも自分の周囲が片付かない人間のようです。


これが自殺になると、それらすべてを自分で賄わねばならないことになります。


まずは各種SNSの幾重にも引き留めにかかる往生際の悪い文章を潜り抜けていく退会処理に始まり、先刻「できない」と書いたばかりの断捨離並みの部屋の片づけ(終活ともいう)を敢行し、親戚を含む関係各位に

『突然ですが、このたび一身上の都合で自死いたしますことをご報告差し上げる次第でございます。
なお、来る日程は~、方法は~を予定しておりますのが、葬式は直葬を予定しておりますので通夜・香典などのご用意は必要ございません。ご容赦ください。
では、最期になりましたが、○○様の更なるご発展ご健勝をお祈りしつつ小生の辞世の言葉とさせていただきます かしこ』

的な文書を通達せねばならない。


(´・ω・`)……めんどくさすぎる。でも、世を発つ者としては、あまり後を濁さないようにというのも礼儀だと思う。本当に悩ましい。とりあえず大掃除でもしますか(最初に戻る)。


これは半分冗談ですが、死ねばすべてがすっかりさっぱり綺麗になるわけではないという事実の一例として読んでいただければと思います。


そして、ここまでを読んでいただいて伝えたいことは、


『“綺麗になるため”に死んではならない』


ということです。


明け透けに書くなら『誰かの目が気になるうちは自分のために死ねない』のです。


拙ブログではたびたび繰り返していることですが、俺が自殺を否定しないのは、それが利己的な判断に依るものである限りです。


『生きていると苦しいから死ぬ』はOK。だけど『生きていると誰かに迷惑がかかるから死ぬ』はNG。そういうことです。


迷惑だと思われているのだったら、どんどんかけてやればいいと思います。迷惑に思っている人のために死んでやることは、誰かの邪な心に膝を折ることです。“死”を“敗北”にしてはならない。


しかし、“敵”に暴力をふるってはならない。固く握った拳は忍耐に使い、口は沈黙の鍵をかけキュッと結び、決して同じ土俵には立たず、好きなことをして好きなように生きる。長生きこそが反撃です。


それでもきっと生き続けるのは辛いでしょう。これを読む人の心持ちは分かりませんが、俺はそうです。


『生きたくないけど生きていく』を実践するのは苦しい。だから辛さの閾値が超えたらこの世からはさっさとおさらばです。文書など回さんし、できるだけ面倒な場所で、可能な限り多くの人に迷惑が掛かりそうな場所を選んでやります。大袈裟ですが、これは自殺志願者の誇りであり矜持であるとさえ思う。


死ぬときくらい、誰かの人生を汚損してやっても罰は当たらないと思う。というか既に死んでるし。むしろ末代まで祟ってやればいい。たとえその相手が俺だったとしても一向に構いません。いや、それよりか積極的に与します。一緒に世を人を生を呪いましょう。


呪詛で繋がる絆というのもいいではありませんか。


寒くなると自殺が増えるとも聞きます。次回はそれほど間を空けず、『人のせいにする効能』についてでも書こうかと思います。


また生きていたら、お会いしましょう。