どうも( ^_^)/
一応宗派は日蓮宗の者です
しかし何がどう違うのかさっぱり分かりません
この間図書館から哲学の入門書と論語の本とコーランを噛み砕いた本と神道の本を借りましたが
仏教が無い 笑
なんでいきなりこんな話をしだしたかと言うと、やはりニート生活が影響しているのでしょう、最近、体調がよろしくないのです
体調と言うと、風邪か病気かとなりそうですが、そうではなく
心身の心の方です
精神を整えるために哲学や信仰の本を読むわけです
果たして効果のほどは分かりません、ネガティブスパイラルに陥る危険性の方が高いですな あはは
まぁ、わざわざこんなところに書くことでもないと思ったんですが、今日は彼岸で寺に行ってきたんで、ついでに書きました
以下、坊さんの話を聴いて思ったこと
※独り言のような雑記です、パンピーの戯言をあまり深く考えないこと! 笑
仏教の全てがそうなのかは知らないですが、俺は『生きてる間全ては修行、死ねば極楽行けますよ』という風に解釈して(乱暴)
死後の世界が、生前の意識から完全に切り離された場所だと思うと何だか損な宗教だと思いました
生前の欲求は我慢して、逝ったら仏になってしまうんでは何だか割に合わないなと
別に神様仏様になりたくて生きているわけじゃないしなぁ、とか
ただ、人間の生を死というゴールの先まで見据えて考えてあるのは良いかなと思いました
なんというか、行き急ぐ意識からは逃れられるかなと
死んだら人の人としてある機能は全停止して「ハイ、終わりですよ」ではそりゃみんな焦るよなぁ
死への恐怖からの超越は信仰心か、やっぱり
坊さんの話では『死ぬ最後の一瞬に法蓮華経が唱えられたらその人は苦しまずに逝ける』
死ぬ瞬間にこの世の未練を断ち切る、瞬間の解脱(げだつ)
そう考えると、この世の一切は修行であるというのは頷ける気がする
苦しいものから抜け出せるときはホッとするしね
ある意味、自殺は早めの解脱かなとも思う
ただ、自殺する人みんなが解脱してるかと言うと完璧に『?』ではあるけど
むしろ解き放たれた開放感あふれる死に顔より苦しそうに顔を歪めてそう
やっぱり平均年間自殺者三万と言うのは、多いな。正式なドロップアウトは難しい
さて、そろそろ読むのが嫌になってきたでしょ? 笑
宗教の話を真面目にしだすと煙たがれる
しかし、日本にはエンタメと言う名の新興宗教信者がたくさんいますぞ
それを否定する気はないし、むしろ奨励したい(主に音楽方面 笑)
『今こそ楽しむ』エンタメ教と『今こそ修行』の仏教のせめぎ合いの中で俺が迷ってるのかも知れませんねぇ
今日もありがとうございました、また明日になると思います