「1万時間説」のウソと真実 | Over the limits - 限界管理人のブログ

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"システムの限界を越えますた・・・"
~さまざまな限界超えをめざして、日々成長していく日常の記録

かつて一時期、ビジネス系啓発本で有名な勝間氏がブームになっていたころ、

 

「一万時間説」というのを一度は耳にしたことはないだろうか?

 

これは誰でも1万時間以上訓練したら、プロの域にたどり着く、というもの。

 

仮に土日正月クリスマス等関係なく、1日8時間練習できたとして、

 

1万時間だと1250日、つまり約3年半近くかかる。

 

 

 

「1万時間の先」は今まで考えたことがなかったが、仮にプロという世界に入れても

 

プロの中でもピンからキリまで差がある。この差は単純に練習量の差なのか?

 

練習量を増やせば世界のトップレベルになれるのだろうか?

 

たぶん、その答えは否!だろう。

 

 

世の中は広い。中には「天才」と呼ばれるタイプの人たちがいる。

 

尋常でない業績を上げる、この人達はどう説明すべきなのか?

 

確かに「天才」でも、才能を発揮する準備としてプロになる職業訓練は必要だ。

 

ただ、プロになった先の違いは何なのだろう。

 

 

かつて発明王エジソンはこういった。

 

「天才とは1%のひらめきと99%の努力である。」

 

努力は否定しないけど、やはり「ひらめき」がないとダメなのか w(゚o゚)w ナント

(この名言には誤訳説があり、一般に流布している説では「努力」が強調されている。)

 

「ひらめき」とは天から降ってくるもの、と考えると「才能」と置き換えてもよさそうだ。

 

すると、こう言えるのではないか?

 

(第1公式)  一般人 + 1万時間  = 専門家(プロ)

 

(第2公式) 専門家 + ひらめき(才能) = 天才(芸術家)

 

天才とは、例えば音楽の世界だと芸術家だから、アーティストといってもよいかもしれない。

 

 

別に貶める気はないが、このかなり抽象化した公式だと、

 

専門家と一般人の違いが練習量の違いだけ、

という「みもふたもない」ことになる。ゞ( ̄∇ ̄;)ヲイヲイ

 

しかも、「ひらめき」がなければ、ただの専門家のままで終わる。厳しいな~ 

 

 

「花が咲くまで」、常人には耐えられそうにない苦しい練習に耐えて継続できるのは、

 

才能とはいえないまでも美徳のひとつだろう。よき根性といえるかも?(笑)

 

そういう真摯に努力しつづける専門家には素直に敬意を表したい。

 

 

(参考)

・今回の記事を書くに当たり、うーむ、なるほど!と思ったのがこのコラム

1万時間を越えた先は何なの?の疑問に1つの答えをくれました。