海あり 山ありな この地方、

 

もともと 海賊衆や 山賊衆の

 

暮らして いた 一帯 なんで

 

そもそも 言葉 自体は

 

いわゆる 関西弁 などより

 

さらに 荒っぽい 土地柄

 

では あるんだ けれど

 

それでも 自分ちの 年寄り

 

見送った ときとか こどもら

 

なんかが 成長 して 嫁入り

 

など するとき あたりに

 

よく 地域の わけ知り ジジイ

 

なんかが クチに する

 

方便言葉と して

 

 

「片づいた」

 

 

な~んて 言い方 したり 

 

するんだ けれど、まあ

 

はじめて その 言葉の

 

意味が わかった ときは

 

さすがに

 

 

「なんてえ汚ねえ言葉をつかうんだ」

 

 

とかって 思って みたりも

 

したもの だけど、いざ

 

自分が そんな 年寄りの

 

側に 立って みると、その

 

言葉の 持つ意味 そのもの

 

では なくて、もちろん

 

地域性 なんかも あるんだ

 

ろうし 口伝で しか ないはず

 

なのに そんな 言葉 ひとつの

 

なかに さえ 長年 込められ

 

つづけて きた ひとの

 

思い みたいな ものが

 

ぼんやり ながらも わかって

 

きて、なんだか しみじみ

 

しちゃったり。

 

 

 

「うちの親はもう、ふたりとも片付いて」

 

 

「うちの娘はこないだ片付いて」

 

 

 

もちろん 田舎 町の ことだから

 

冠婚葬祭、いずれも 儀式と

 

しては 大騒ぎ しがちな 傾向

 

あるから かかる カネや

 

親戚 筋への 根回し など

 

そちらへの 批評 的な

 

意味合い なんかも 多分に

 

ふくまれ ては いるんだ

 

ろうとは 思うけど、それ

 

以外にも

 

 

「おかげさまで、こうして残された側の身も、ココロも、環境も、やっと落ち着いたところなんですよ」

 

 

ってな 心情 なんかも

 

込められて いて、さらには

 

 

「つぎはいよいよ、自分らの番ですかねー」

 

 

な~んて 思い あたりも、

 

そこには ふくまれて いると

 

思うんだ。

 

 

 

説明文 的に いう ところの

 

 

“言外に”

 

 

って やつ?

 

 

 

まあ、へっぽこ さんちも

 

ずっと びんぼーな 上に

 

よそ様の マネごと なんかが

 

できうる ような 家庭 環境

 

では なかった けれど

 

それでも どうにか Aさん

 

出せたし ネコ ばーちゃんも

 

うちの オヤジも カタチ

 

だけは 斎場 まで 送れたし。

 

 

 

とは 言っても まあ

 

 

 

へっぽこ さんが

 

 

 

無宗教 気取って いる ってな

 

理由も あって

 

 

 

式事の たぐいは

 

 

 

一切 やって

 

 

 

ないんだ けどね?

 

 

 

葬式は

 

 

 

骨に するだけ

 

 

 

結婚は

 

 

 

家 出てくだけ

 

 

 

みたいな。

 

 

 

そらあ まあ、宗教 云々は

 

抜くと しても それ なりに

 

人生 って やつの 区切りの

 

節句 ぐらいは 皆に ひとなみ

 

レベルな こと ぐらい

 

させて やりた かったな、

 

ってな 思いも もちろん

 

あるけど、この 身体では

 

カネも 無理だし、なにせ

 

うちの 親が

 

 

HOME ~家~

 

 

親 だったしで。

 

 

 

ヨメ さんとも

 

 

 

この 家で

 

 

 

一緒に 住み はじめた

 

 

 

だけ だったしね。

 

 

 

「あれこれ落ち着いたら、まえに通ったことのあるあのどこぞの海岸ぺりにあったちっこいパステルブルーの教会、あそこらあたりで遊び程度に、式でも挙げよらよ。庭先だけ借りて、ちょっとした恰好で写真いち枚撮らせてもろたらええやん、いつになってもええから、ふたりだけで」

 

 

 

入籍 したとき だったかなあ、

 

漠然と だけど ぽそっと

 

ヨメ さんに そんなこと

 

言ったの おぼえてる。

 

 

 

願わくば

 

 

 

その後、Bさん からは

 

なんの 連絡も なくて、

 

いや、ヨメさん とは

 

電話 とか ラインやらで

 

やりとり ぐらいは して

 

いるの かも しれない

 

けれど、そんな はなしを

 

聞いた こととか いまだに

 

なくて。

 

 

 

けど まずは

 

 

 

あれに ゆずった ギターたち

 

 

 

どう すっかなあ。

 

 

 

安もの 10本 ぐらい、

 

 

 

ずっと B部屋に

 

 

 

放置 したまま なんだけど。

 

 

 

そもそも まったく 弾いて

 

やっても いな かった

 

ようだから、弦 なんかも

 

いい加減 サビサビ

 

だろうしなあ。

 

 

 

ヨメ さんは たぶん、

 

 

 

この ままの 現状 維持を

 

 

 

のぞむだ ろうけど。

 

 

 

 

子らの ものとかさ、

 

 

 

捨てられ ないんだって。

 

 

 

いつまた 帰って きても

 

 

 

いい ようにって。

 

 

 

 

 

そうそう、

 

 

 

 

 

その後 ヨメさん

 

 

 

やさしく なりましたよ。

 

 

 

 

 

まあ、うちの 場合、こどもや

 

ジジばば 以外の ことで

 

滅多に ケンカ なんかも

 

したこと ない ぐらい

 

では あったけど、それでも

 

やっぱ へっぽこ さんが

 

足 ケガした あたりから

 

家族 みな、どこか 鼻先で

 

こちらを あしらい はじめたり

 

しはじめて その上 連日の

 

ように 食ってかかって

 

こられたり した日にゃ

 

へっぽこ さんとて さすがに

 

 

「ええわもう、出てけ」

 

 

ってえ 言葉を なん度か

 

ぐらいは 嚙み殺し、そんな

 

苦い 気持ちごと なんとか

 

喉の 奥へと 飲み 込んだり

 

しては きたけど、まあ

 

時期こそ 違えど それは

 

ヨメさん 側も なん度か

 

ぐらいは 「もう イヤや」

 

とかって 思っただ ろう

 

ぐらいは わかって るんで、

 

いまと なっては 両成敗、

 

過失 相殺って ことで

 

いいんだ ろうと 思っちゃ

 

いるけど ほんと、いっとき

 

なんかは 家族中 へっぽこ

 

さんなど 眼中 にも ないって

 

あつかいで、入学 式とか

 

運動 会とか、さもそれが

 

当然の ように 留守番

 

させ られたり しはじめ

 

たりでねえ。

 

 

 

Aさん Bさんで それぞれ

 

6年 6年の 12年、運動会

 

終わりに 皆より ちょっとだけ

 

先に 帰って お風呂 洗って

 

沸かして おいて やるの、

 

じつは ずっと ひそかな

 

たのしみ だったん だけど。

 

 

「おう、さき風呂入れよ」

 

 

な~んて シラこい 顔で

 

 

 

言ってさあ。

 

 

 

 

 

まあ だれも

 

 

 

気づいちゃ いな かった

 

 

 

ようだけど。

 

 

 

 

 

ジジばばと Aさん Bさん

 

いなく なって どこか

 

重しが とれたのか、それとも

 

身近に たよる べき

 

寄るべが へっぽこ さんしか

 

いなく なった からなのか、

 

 

 

どこかね、

 

 

 

出会った ころの ヨメ さんに

 

 

 

もどった って いうかね。

 

 

 

「ひっど。あたしいっつもやさしいやん」

 

 

 

からかい がてら こないだ

 

直接 本人に おまえ 最近

 

やさしなったな、って 言って

 

みたら、当人 まったく

 

自覚 しても ないようで。

 

 

 

そらあ まあ

 

 

 

出会った ころの 自分

 

なんて

 

 

 

おぼえて いる

 

 

 

わけが ないか。

 

 

 

うちの ヨメさん

 

 

 

バカ だから。

 

 

 

いやあ でも ほんと、

 

バカな ぐらいで いいんだ

 

ろうね、ひとと ひと

 

なんてのは。

 

 

 

これで もすこし 痩せて

 

くれれば 出会った ころの

 

お互い なんかに どちらも

 

感覚 もどったり なんか

 

するんだ ろうか? とも

 

ぼんやり 考えて みたりも

 

するけど、こっちも 充分、

 

人生 半分 過ぎてきた、ジジイに

 

なってる わけだしねえ。

 

 

 

「コーヒーにする? お茶にする?」

 

 

 

ネコ ばーちゃんちを ふくめ

 

うちの 親たちは 乗り越える

 

ことが できな かったし

 

Aさん あたりは いち度

 

見事に 失敗 したし、

 

B さんは まあ まだ

 

これから だけど

 

 

 

つれ添った ひとや ものと

 

ともに 老いるって いうのも

 

 

 

悪くは ないもの なの

 

かもなって 最近 少し

 

 

 

思ってる。

 

 

 

 

 

 

人生 最後に 笑えた 者の勝ち。

 

 

 

 

 

 

いじめ られて いるときも

 

 

 

みんなの まえで アタマ

 

ごなしに ひとり なじられ

 

てるときも

 

 

 

無意味に 殴られて

 

 

 

泣いて 泣いて

 

 

 

怖くて ふるえて 眠れぬ ときも

 

 

 

ガキの ころから 己が

 

痩せ腹の 真ん中 あたりに

 

いつも 据えて いた 自分

 

なりの 人生 訓って いうか

 

生きる 上での ポリシー

 

みたいな もの だけど

 

 

 

まちがっては

 

 

 

なかったかなあ って

 

 

 

ちょっと 思ったり。

 

 

 

いまなら そんな ガキの

 

ころの 自分の アタマを

 

 

 

大丈夫 だいじょうぶ

 

 

 

なんとか なるでよ って

 

 

 

しばらく なでて

 

 

 

やれるかな

 

 

 

 

 

「あの教会、まだあるやろか」

 

 

 

もちろん いまだに うちは

 

無宗教で 通して いるけど

 

どうやら ヨメ さんも

 

おぼえては いる らしく、

 

十年に 一度 ぐらいの

 

割合で それとなく、たまに

 

あの 言葉を 蒸しかえ

 

されたり なんかする。

 

 

 

「さあなあ。潰れとんちゃうか」

 

 

 

まあ

 

 

 

その ぐらいで

 

 

 

ちょうど いいんだろう。

 

 

 

 

あの場所 だけは

 

 

 

いまだに ちゃんと

 

 

 

 

覚えちゃ いるけどね。