大江 | 楕円球空間

大江

健三郎氏が新聞にオルハン・パムクとの対談をベースに評論を書いていた。


パムクの小説に関する内容は概ね世評に近いものだったが、「雪」の主人公を「記者」と理解したんではダメなんじゃないの?という疑問は大量に残る。「詩人」でなければ、スランプからの脱出がやはり神の啓示と存在を示したものだ、と本人が理解せざるをえなくなり、それ故に以前の無神論と現在自分が直面している原理主義的思想とのギャップにゆれる、というポイントを見失うことになると思うのだが。そんな理解でいいの?


本人が翻訳の問題に拘るのは確かに理解できる。講演録ではその独特の翻訳が味となったが、小説のほうはやや読みにくい。もっとも氏が拘る時制の問題、というのは私は気にならなかったが・・・。ノーベル文学賞受賞者というのは変なところに拘って大雑把にものごとをとらえる感じでいいのかな。以前から実はあまり好きではないのだが(というかどこがいいのかよく分からない。いくつか読んだが初期のものはテイストにあわず、中期のものは模倣の臭いがし、後期のものは個人的体験すぎて共鳴できず)、なんとなく肌合いが会わない感じが評論でも残った。