こんばんは。

心理セラピストの杉原 京子です。

 

先日、こんなことがありました。

職場でウォーターサーバーと給水ボトルの接続を失敗して水を溢れさせてしまいました。

 

今までだったら、その場に居られない程の感覚を味ったり、その感覚を味わわずに済むように感覚を切って一人で黙々と処理していたと思います。

 

しかし、今回は職場の人に「助けて」と声をかけ、3人の人に床を拭いたり、溢れて止まらなかった水を止めてもらうのを手伝ったりしてもらいました。

 

素直に自分の失敗を認めて受け入れ、「助けて」と自分から助けを求め、人の「助け」を素直に受け入れる。

 

当たり前のようなことが、以前の私にはできなかったのです。

 

この事で、私が頭によぎったのがセッション中によく言われてた言葉でした。

 

「自立した人間は、「助け」を求めることができる」

 

 

そして、最近ずっとひっかかってた言葉。

「受動」と「能動」

 

そこで気づいた事が、「自立」って「受動」と「能動」のバランスが取れてるって事。

 

「受動」…他から動作・作用を及ぼされること。受け身。

「能動」…自分の作用を他に及ぼすこと。働きかけ。

 

あなた自身の内面では、この受動と能動の割合ってどうですか?

 

ある人はこう言うかもしれない。

大人なのだから、能動的に生きなければいけない。

自立する、親になるってそういう事じゃないの?

 

本当にそうなのだろうか?って問いかけてみる。

 

では、

 

(精神面で)大人になるってどういう事だろう?

 

「自立する」ってどういう事だろう?

 

「自立」って「能動」的に100%生きる事なのだろうか?

 

「人に頼ってはいけない。何でも自分一人でできるようにならないといけない」 それって本当にそうなのだろうか?

 

「自立する」ってこの受動と能動のバランスが取れてる状態だと私は思います。

必ずしも5:5の割合である必要は無いし、かといって10:0って事も無いと思います。

 

ある時は、8:2の割合になってるかもしれないし、

またある時は、7:3の割合になってるかもしれない。

 

いずれにせよ、

人は、一人では生きていけない。

助けが必要な時は、能動的に助けて下さいと助けを求め、

人の助けを受動的に受け入れる。

 

これが助けだけに拘わらず、言葉や感情、気持ちでも同じことが言えると私は思います。

 

自分の感情を素直に能動的に伝える。

「私、悲しいの」

 

それを受動的に受け止める

「そうなんだ、悲しいんだね」

 

そうやって、お互いに受動と能動の関係が築いていく事で、自立した関係が築いていけるのではないかと私は思います。

お互いに発信したり、受け止めたりと交互に繰り返す。

 

それが一方通行だったり、アンバランスな状態(10:0や1:9の状態)が続くようであれば、それは共依存という状態に陥っているのだと私は思います。

 

私の今回の場合も、水を溢れさせてしまったという状態をまず受け入れる(事実の受動)ことをし、人の助けが必要だと判断し、助けを求める事をし(能動的に働きかけ)、人の助けを受け入れ(受

動)、人の助けに対して素直に感謝する(能動)。(感謝は、自然に出てきた感覚なので正に能動的です)

 

人生には予想だにしない事が起きて、それを受け入れないといけない事もあります。そんな時、一人で解決できる事って限られてる事もあると私は思います。

そんな時は、能動的に「助けて」って言って助けを求めてもいいと私は思います。

 

もし今、「助けて」って言えずに苦しんでいるのであれば、試しにセッションを受けてみませんか?

 

なぜ、助けてが言えないのか、その理由を探って問題を解決してみませんか?

 

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