俺はアウトサイダー大林だ。


今、俺が注目している職業の人達がいる。


医療従事者の人達だ。



彼らや彼女達のことは、毎日のようにテレビで流されている。


俺が若かった頃、世の中で主流であったように思う、根性論、などはそれはあって当たり前で、その上でパソコンなどのコンピュータを駆使して、デジタル面からの非常に高いレベルの水準にあるのが素人の俺にもわかる今現在の医療現場。



このコロナ時代の医療従事者の人達というのは、高い水準のスキルを駆使して、そしてメンタル面でも強靭さを求められ、毎日毎日過酷な状況下で戦っている。


俺、思うんだけど、いずれそのうちワクチンなんかが出まわるようになったら、コロナは収束していくはずだと思うんだけど、そうやってコロナ時代が終焉を迎える頃には、医療従事者の人達というのは、ハイスキルと強靭な戦士のメンタルを兼ね備えた、他のどんな職種の人間にも負けない、スーパーエリートに仕上がっているんじゃなかろうか?


だってそうでしょ?毎日毎日、命を削って戦場のような医療現場で戦い続け、患者を助けるために非常に高い水準のスキルを駆使して、そしてそんな仕事の上での、技術やメンタリズムだけに留まらず、プライベートでは医療従事者だということで世の中から差別を受け、そうなると当然心が傷つくことだってあるわけだし、つまり仕事の現場でもプライベートでも様々な困難障害を乗り越えていかねばならないわけじゃんか。


こんな大変な試練の状況下にあって、それでも仲間達と励ましあい、時には労わりあい、そして自分を奮い立たせ、ってそんな環境下で生きていたら、嫌でも仕事のスキルも人間としてのメンタリズムも、そりゃあもう、大変なスーパーエリートになっていくだろうことは、必然のことじゃないか。



コロナを戦い抜いた医療従事者の人達は、その時きっとおそらく、とんでもないスーパーエリートのような人物になってしまっているに違いない。


そしてな、俺にはもう一つ、コロナ後に医療従事者の人達に訪れるだろう現実、というのに、こういうこともあるかもしれないなあ、って思ってることがある。



それは、彼らや彼女達に、モテ期が到来する、というものだ。


一昔前のモテる人、というのは、その人自体に、有名だとか金持ちだとか、名声なんかの社会的地位があるとか、ステイタスがある人物がそうだったと思う。



男女共、そうだったと思う。



しかしな、今の時代にモテる人ってな、周りや世の中を見ていると、男女共に、その人が有名であるとか金持ちであるとかよりも、その人に自分の大切な人やパートナーを想いやる能力があり、相手を励まし癒すことが出来、相手から勇気と能力、才能を最大限に引き出してやれることが出来るような人物、そういう人が今の時代、モテはやされているように思う。


つまり、自分が優れているだけでなく、相手から、勇気、優しさ、能力、そういったものを引き出してやれる男女。


そういう人がモテてるように思えるんだけど。


そういう意味では、医療従事者の人達は、まず自分が仕事の能力の上で優れている。


ハイスキルの持ち主なのだ。


そしてここからが重要なのだが、差別を受け、先の見えない不安と戦い、自分の好きなこともできないストレスを抱えて、それでも前を向いてコロナと戦っていくという生活を送っていく中で、おそらく、生きていく上で必要になってくるメンタル面での、知識、情報、そういうものをとんでもなく膨大に得ることになっていき、すなわち、人間が出来る、人間的に魅力的になる。



男女共、モテる人間に出来上がっていかないわけがないんじゃないの?



何故なら、自分が苦しみそれを乗り越えて来た経験があるので、人生を生きるためのノウハウがハンパないことになっていると思うから、今言ったような今の時代にモテると思われる、相手の能力を最大限に引き出せる力を身につけることになっているはずだと思うからだ。



そして、コロナ後の社会では、肩書きのある年輩のお医者様達の社会的地位、というのは、今よりもグッ〜と高い位置になっているに違いない。



こういう医療従事者の人達の戦う姿をテレビなんかで見ることは、俺にとって非常に刺激だ。



もちろん、俺には彼らや彼女達のようなハイスキルはないし、ましてや、コロナの最前線で戦う根性もない。


自分が目指す文筆業においての刺激としては十分すぎるくらいだが、けっして俺に彼らや彼女達のマネが出来るわけではない。



コロナ収束を待たずとも、今現在において、医療従事者の人達は、すでに十分にスーパーエリートであると思う。



こんなことを、今日、タワレコから帰宅して、家で、シープール、バウンダリー、あるゆえ、というバンド達のロックミュージックと、副島美羽、の、さくら、というバラード曲を聴きながら考えていた。



シープール、の、素描、という曲。


バウンダリー、の、明後日、という曲と、神様、という曲。


あるゆえ、の、ライブハウス、と、毒を塗って、という二曲。


今言ったどの曲も、ボーカル、サウンド、共にビビッドで刺激的で、耳にザクザク刺さる。


そしてボーカルの歌い方に味がある、その声質も魅力的で大好きな、副島美羽、の、さくら。



俺は医療従事者の人達のようなマネはとても出来ない。


俺は俺に出来ることをやる。



音楽を聴き、恋を語る。



朝、情報番組を観ていたら、今の時代、未婚者の二十代から四十代の男女の七割が恋人がいない、というデータがあるという話しがあった。



恋愛をした方がいい、と言っても、急に好きな人を探して見つけて、片思いでいいから始めなさい、と言ったところで難しいだろう。



恋をする相手は案外身近にいる、と言われているが、俺が思うに、身近な人に恋愛感情を持つためには、その人の脳が、恋愛脳、というやつになっていなければならないと思う。


脳を恋愛脳にするためには、それなりに脳を鍛えなくてはならないと思う。


脳が恋をしやすい状態にしておくのが一番恋をするために大切なことなんじゃないか、って俺は思う。


つまり飲み会だとか、そういうところに無理矢理出かけていくよりも、自分の脳を恋愛脳に鍛えていく方が、恋をするための近道になるんじゃないかと思うんだ。


俺の持論では、脳を恋愛脳にしていく手段として、ラブコメ漫画や恋愛小説を読む、ラブソングを聴く、恋愛映画を観る、そういったことから始めていくのがいいと思う。


脳を恋愛脳にしてしまうことさえ出来れば、案外簡単に恋の相手は見つかるものだと思うよ。


それこそさっき言ったように、身近な人と恋におちたりするかも。



まあ今日は、医療従事者の人達のことから始まって、恋愛脳についても少しだけ話したけど、忘れてはならないのは、この世の中が、俗世間である、という現実だ。


でな、最近になって俺は悟ったことがあるの。



この世の中が嫉妬で構築されている、という話しは俺も知識としては持っていたけど、ただ知識としてその話しを知っていただけで、理解はしていなかったみたい。


それがここにきてハッキリとその言葉の意味を理解した。


嫉妬が何故生まれるのか?


それはこの世の中に勝ち負けがあるからだ。


そう、この世の中は、勝ち負け、で構成されているんだ。



この、勝ち負け、というワードが自分の中に出て来た瞬間、俺は世の中が嫉妬で構築されている、という以前から知っていた言葉の意味を完全に理解した。


そして悟った。


この世の中では、勝ち負けの意識さえしっかり持てていれば、人間関係はなんとかなっていくものかもしれない、ということを。


俺はこれから、勝ち負け、という観念をしっかり心に意識しながら、文筆業に勝負をかけていくぜ!



スウィートベイベー、おやすみ。