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outside666さんのブログ(日本の一般人で唯一本音を語ります)

どうも!OUTSIDE666ことろんりいです。

日々の出来事を語ります。

それらをまとめてホームページ作成しています。

いずれは雑誌を作るのが夢です。応援よろしくお願いします。

将棋世界 2013年 03月号 [雑誌]/マイナビ


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全く。。。どうしたらいいんだろうか?

第一報を聞いてから現在に至るまで心の空白が埋まらない。

追悼の文を書く為に開いた
タブレットのメモ帳は私の胸中と同じく空白は無情に拡がり、
キーボードを打つはずの人差し指は、
変拍子のリズムで虚しくテーブルを叩いている。

何故こういう状況になったかは自覚している。

拡がり過ぎる。。。

米長邦雄永世棋聖(以下米長先生)を
真芯で捕らえた言葉で語りたいのだが、
雑誌や本やネットで掴んだ情報ですら
もうすでに混乱している。

そもそもニックネームである「さわやか流」と「泥沼流」。
相反していて全くの統一性を得ていない。

確かに和服を纏って淡い風を巻き込みながら
歩く姿は誠なまでに颯爽としていたし、
スーツにネクタイ姿で無言で相手を睨み付ける姿は、
非情なまでに冷淡で鋭かった。

ならば、もう空気のような宇宙のような
捕らえられない人物なのか?と思えば
「兄貴は頭が悪いから東大に入った。
私は頭が良いから棋士になった」
「矢倉は将棋の純文学だ」
など将棋愛好者や将棋関係者をも唸らせるフレーズで
見事に捕らえてくれる。

過去の対戦数で最も多いのは
中原誠永世十段(以下中原先生)で、
将棋界でも一番多く、まさに「ライバル」と言って
相違ないと思うが、実績は中原先生と差がついていた。

獲得タイトル数64期で5つの永世称号を持っている
中原先生に対して米長先生は
獲得タイトル数19期で永世称号は棋聖のみ。

しかし、「米長玉」など独自の戦法を編み出したり、
50歳で名人位を獲得したり、棋譜並べされることが
多かったり、後輩への影響力ははかり知れない。

会長となってからも影響力は大きく、
名人戦の主催者問題、LPSAの独立問題、
瀬川さんのプロ試験問題など、
多くの難題に正面で取り組んだ。
もちろん対応での賛否両論はあったが、
逃げる事なく背中を向けなかった事は
評価すべき。

例えば前会長の中原先生や現会長の谷川先生ならば、
許容できない可能性がある。

。。。苦悩しながら書いてみたが、
米長先生について妥当な文章だったかどうか不安。

現役時代はリアルタイムで知らないので、
以下は最近の事を語る。

米長さんもついに寿命が近いか?
そう推測してしまうほど末期には髪の毛は無く、
体も痩せ干そっていた。

自ら将棋界への為にと進んで取り組んだ電王戦。
第一回は引退していたが自ら戦場の馬に乗り、
「ボンクラーズ」という嘲笑されるような名前の
感情の無いコンピューターと対戦した。
惜しくも負けたが、初手62玉という奇襲を
披露し、報道陣に先んじて訴えてみせた。

そして第二回電王戦。
そのPVが生前最後の映像となった。

やはり髪の毛は無く、あたかも僧侶のような姿は、
第一感で不安を誘ったが、
その不安感を吹き飛ばすような力強い一言が震えた。

「おい!がんばれよ!」

今改めて観るとただの激励だけでは収まらず、
なにか重く意思を込めた白いバトンを渡された気持ちになる。

我々は万感の想いを込めてそのバトンを
受け取る必要がある。

タブレットの表面はすでに指紋だらけになった。

この号には谷川新会長以下米長先生のバトンを受け取る資格がある
現在の将棋界を担う数々の棋士が追悼文を載せている。

ただただ感謝とか、素直にご冥福を祈りますという文章は無く、
本当にいろんな感情をぶつけている。

将棋ファンの方なら記念に持って置きたい一冊。
相変わらず本を読んでいる。

本来この時間は電車に揺られていなければならない。

私の最高の趣味は旅行である。

なるべく都市に向かい、何となくの感触を元に電車を降りて、
何か刺激がないか?

あまりに危険な事は離れて回避しながら街を歩き、
絶品と言わずとも、その土地でないと食べれない物や、
その土地でないと得られないような貴重な情報を求めている。

こう文章で書けば格好いいが、気ままに行動するただの旅行者である。

しかしながらもうそんな事は事実上不可能に近い。

金欠。。。


貯金はあっという間に消えて、入れ替わりで借金が増えている。

そのため、情報の入口はほとんどネットか本になる。

もう私も40歳に接近していて、若い人と話す機会もない。

更に若い女性となると最低でも数千円の金額を支払う必要がある。

もう口説くという感情ではなく、その世代の女性がどういう思いや生活をしているのか?

そっちのほうにしか興味はない。


最近は図書館で借りたり古本屋とかで安く本を買ったり、
アマゾンでダウンロードしたり、いろんな方法で本を読んでいる。

気に入った本はアマゾンレビューに投稿している。

以前はブログであったが、リアクションが変な業者しかこないため、
行き先をアマゾンに方向転換した。

というのも何となくではあるけど、
いろんな人が投稿しているアマゾンレビューが思ったより素直で正しいと感じたから。

もちろん絶対的な指標ではなく、あくまでも参考程度だが、
例えば2ちゃんねるとかバクサイなどの書き込みサイトと比べても、
イヤな印象は少ない。

何か新しい畑に有志達が思い思いで耕しているような感じ。

まあいずれは過剰に人数が増えて荒れ果てた畑になるかもしれないが、
今のところは平穏な状態を維持している。

そんな中自分の書いたレビューが評価されると結構気持ちいい。

先月はXjapan TOSHIの「洗脳」という本にレビューを投稿したら、
参考になったとリアクションがあった。

しかも、日々人数が増えている。

暇な人は私のレビューはどれか?
探してほしい。

レビューは本を読み終えた後書いているため、対象商品は増えている。

同時に文章も上手くなった気がする。

何となくだけど。。。

殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件― [Kindle版]


この本を読み終えた後、一つの言葉が脳裏に浮かんだ。

「空洞です。」

ゆらゆら帝国のアルバムのタイトルである。

そんなの知らねーよ!関係ねーじゃん!と思う方のために一応解説するが、
このアルバムはゆらゆら帝国が2007年に出したスタジオアルバムであり、最高傑作と言われている。
事実このアルバムをリリースした後、メンバーの坂本慎太郎さんは「これ以上の作品は出来ない」と
解散を決意している。

もちろん「空洞です。」というタイトルだが、内容は非常に洗練されていて、
空洞どころかスカスカな部分が全く見えない。

何故私の脳裏に「空洞です。」というタイトルが浮かんだのかというと、このアルバムと同じく
洗練された内容だが先が見えないという「絶望的な果て」を感じたからだ。

結論でいうと清水さんが追い続けた北関東連続幼女誘拐殺人事件(以下北関東事件)は現在解決の目処が無い。

前回桶川ストーカー殺人事件を独自の取材と報道によって犯人を特定し、
埼玉県警の不祥事を暴き、被害者家族の尊厳を取り戻した清水さんだが、
今回は何度も諸問題の解決を一歩手前で揉み消されている。

本を通して何度も清水さんの怒りと溜め息が伝わってきた。

それでも足利事件の捜査の矛盾を突いて菅家さんの冤罪を晴らしたのは大きな功績だと思う。

ドラマならばこのまま真相が暴かれ真犯人が捕まる所だが、現実にはそうはいかない。

北関東事件はほとんど捜査されずに野放しにされている。
真犯人が「そこにいる」のに!!!

警察が悪いのか?検事が悪いのか?法律に欠陥があるのか?

この本の他のレビュー同様私も怒りや憤りを感じる。

しかし、あえて一点の疑問点を挙げるならば、この北関東事件の日時だ。

連続と言いつつもちょっと事件の間隔が広くないか?

5件の事件の時系列は1979年の栃木県で起きたのを皮切りに、
以下1984年、1987年、1990年、1996年と3年から6年と間隔が開いている。

確かにこの5件の事件は非常に狭い地域に限定されて起きていて、
同じ様な手口からも連動型で同一犯の疑いが高い。

推測だが、この3年から6年という間隔が捜査の欠落を生んで、冤罪事件に繋がったのではないか?

連続幼女誘拐事件と聞いてまず連想されるのが宮崎勤の東京埼玉連続幼女誘拐事件だが、
宮崎の場合は1988年から1989年までと短い期間での犯行とされている。

その他連続殺人事件はだいたい短い期間で起きていて、
今回の様に間隔が開いた連続殺人事件はあまり思い当たらない。

もちろん私は犯罪者の心理はまず解らないし、殺人事件に膨大な知識を持ち合わせていない。

現地に住んでる方はもう一生頭から事件の事は離れないと思うが、
この長い間隔のせいで悪い意味での情報の風化や捜査の一律性を欠いたと思う。

推測だが、この歪んだ膠着状態を見る限りそう考えるしかない。

未解決のままこの本の出版を決めた清水さんの決意は相当だと思う。
しかし、同時にもう未解決で終えること、先が見えない絶望感は私にも重く伝わる。

「空洞です。」

その吐き捨てる様なタイトルや言葉には洗練された内容と怒りが収められている。

清水さんの思いを感じる余裕「空洞」がある方には是非読んで欲しい一冊です。