追悼 米長邦雄永世棋聖 | outside666さんのブログ(日本の一般人で唯一本音を語ります)
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全く。。。どうしたらいいんだろうか?
第一報を聞いてから現在に至るまで心の空白が埋まらない。
追悼の文を書く為に開いた
タブレットのメモ帳は私の胸中と同じく空白は無情に拡がり、
キーボードを打つはずの人差し指は、
変拍子のリズムで虚しくテーブルを叩いている。
何故こういう状況になったかは自覚している。
拡がり過ぎる。。。
米長邦雄永世棋聖(以下米長先生)を
真芯で捕らえた言葉で語りたいのだが、
雑誌や本やネットで掴んだ情報ですら
もうすでに混乱している。
そもそもニックネームである「さわやか流」と「泥沼流」。
相反していて全くの統一性を得ていない。
確かに和服を纏って淡い風を巻き込みながら
歩く姿は誠なまでに颯爽としていたし、
スーツにネクタイ姿で無言で相手を睨み付ける姿は、
非情なまでに冷淡で鋭かった。
ならば、もう空気のような宇宙のような
捕らえられない人物なのか?と思えば
「兄貴は頭が悪いから東大に入った。
私は頭が良いから棋士になった」
「矢倉は将棋の純文学だ」
など将棋愛好者や将棋関係者をも唸らせるフレーズで
見事に捕らえてくれる。
過去の対戦数で最も多いのは
中原誠永世十段(以下中原先生)で、
将棋界でも一番多く、まさに「ライバル」と言って
相違ないと思うが、実績は中原先生と差がついていた。
獲得タイトル数64期で5つの永世称号を持っている
中原先生に対して米長先生は
獲得タイトル数19期で永世称号は棋聖のみ。
しかし、「米長玉」など独自の戦法を編み出したり、
50歳で名人位を獲得したり、棋譜並べされることが
多かったり、後輩への影響力ははかり知れない。
会長となってからも影響力は大きく、
名人戦の主催者問題、LPSAの独立問題、
瀬川さんのプロ試験問題など、
多くの難題に正面で取り組んだ。
もちろん対応での賛否両論はあったが、
逃げる事なく背中を向けなかった事は
評価すべき。
例えば前会長の中原先生や現会長の谷川先生ならば、
許容できない可能性がある。
。。。苦悩しながら書いてみたが、
米長先生について妥当な文章だったかどうか不安。
現役時代はリアルタイムで知らないので、
以下は最近の事を語る。
米長さんもついに寿命が近いか?
そう推測してしまうほど末期には髪の毛は無く、
体も痩せ干そっていた。
自ら将棋界への為にと進んで取り組んだ電王戦。
第一回は引退していたが自ら戦場の馬に乗り、
「ボンクラーズ」という嘲笑されるような名前の
感情の無いコンピューターと対戦した。
惜しくも負けたが、初手62玉という奇襲を
披露し、報道陣に先んじて訴えてみせた。
そして第二回電王戦。
そのPVが生前最後の映像となった。
やはり髪の毛は無く、あたかも僧侶のような姿は、
第一感で不安を誘ったが、
その不安感を吹き飛ばすような力強い一言が震えた。
「おい!がんばれよ!」
今改めて観るとただの激励だけでは収まらず、
なにか重く意思を込めた白いバトンを渡された気持ちになる。
我々は万感の想いを込めてそのバトンを
受け取る必要がある。
タブレットの表面はすでに指紋だらけになった。
この号には谷川新会長以下米長先生のバトンを受け取る資格がある
現在の将棋界を担う数々の棋士が追悼文を載せている。
ただただ感謝とか、素直にご冥福を祈りますという文章は無く、
本当にいろんな感情をぶつけている。
将棋ファンの方なら記念に持って置きたい一冊。

