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愛の証明について
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昨日は息子の誕生日でした
息子の誕生日に
弱い愛と強い愛について
思い出したので
今日は書いてみます
リブログしたナリくんの記事
1年前に読んだ時
ビックリした。
ブログには、
親は子どもを愛していればそれでいいは
違う。
毒親も子どもを愛している。
だけどその愛が正常じゃない。
とか、
親は子どもを愛しているけど
親自身が全く機能していない
子どもを愛しているけど
全く意味がない愛ってこと
と書いてあった。
ナリくんのブログの
この図がわかりやすかった
Aの親が子どもを愛しているかってのは
子ども的には当たり前の話だから
Aを太くしても意味ないって書いてあって
私はこれにビックリしすぎた。
子どもが見てるのはBの
社会での証明で
親が社会の中でどういう状態で
日々生活しているかだって書いてあって
これにも
ビックリした。
私はずっと
Aが大事だと思ってた。
子どもを愛することが1番だと思ってきた。
子どもが見てるのもAだと思ってた。
私は
抱きしめてもらったり
話を聞てもらったり
そんな当たり前の愛をもらっていない。
だから私は
息子をいっぱい愛そうってしてきた。
だけど、それは
子どものためじゃなくて
自分のためにやってるだけってブログに書いてあった。
じぶんのため、、、
これ知って、また
ビックリした。
そして、
周りに怯えて
不満、文句、不機嫌、我慢してる
親の愛は弱いって知って
私の愛は弱いって知って
ビックリした
この記事を読んだ時に
弱い愛をはじめて知って
他のナリ心理学の記事も夢中で読んだんだけど
その中に、
怒る時は本気で怒る
大好きを伝えたり
抱きしめたり
話を聞いたりしてるっていうのは
(ここは私が簡単にまとめて書いている)
なんもしてない
めちゃくちゃ弱い親の前提ってあって
子ども視点だけど
自分の親がこんなこと言ってたら
子どもは
うちのお母さんって、きっと弱いんだな
って思うよって書いてあった。
本当にその通りで、
私は息子に
「弱いママ嫌」と言われところだったから
ナリくんの言ってることと
息子の言うことが同じで
ビックリしすぎた。
リブログ記事の続きには
社会や周りに勇気出して挑戦して
笑ってる親の愛は強くて
子どもへの愛は
社会の中で証明するとあった。
私のやってることを考えたら
全然証明出来ていないと思ったし
出来てない=やっていく
ってことだから嫌だと思った。
わかりやすい
Aが太いのは当たり前で
堂々と行動する
Bが太いと子どもが信用する。
子どもが見てるのはB。
だから、
息子が見ているのは
堂々と行動出来てない私ってことを知った時
嫌すぎた


それから、
これもビックリしたんだけど
親が子どもに感謝を求めることなんてないんだって。
親は子どもに
産まれてきてくれて
ありがとうしか思わないんだって。
もうこのブログ記事は
ビックリすることばかりだった。
ドーンと話は今に飛ぶんだけど
この記事を読んでからの私は
損と向き合うことが出来ているけど
(今も向き合ってる最中)
息子には損をさせたままだ。
私に出来ることは
愛を証明するために
強い母になる
勇気だす
行動する挑戦する
やっていくしかない
逃げるな私って
いつも思ってやってるけど
何もしてこなかった私だから
当たり前に
逃げたくなることいっぱい。
逃げてることもある。
だけどやるしかないから
社会の中で証明やっていく
周りに怯えて
不満、文句、不機嫌、我慢
やってないか考える。
やってたらやめていく。
楽しいよを見せていく
来月、
私が住んでる市で
大きなマラソン大会があるんだけど
旦那さんが
一緒にボランティアしようって
誘ってくれたから
やってみようと思ってる

豚汁作ってランナーに配るんだって
有言NO実行の親にはならないぞっ!
おしまい




