私は一方を肯定すると
一方を否定する癖があった(ある)。それは、
「正しい私はここにいていい」
「間違ってる私はここにいたらダメ」
と、条件つきで自分の存在を扱っていたから。
状態を存在に結びつけて否定していたから。
だから、例えぱ、
安心していたほうがいい
安定していたほうがいい
笑顔でいたほうがいい
期待しないほうがいい
こう思うのは別に普通で、ただそれが「条件」になると
不安じゃない=良い
不安=悪い
さらに
不安じゃない私はOK
不安な私はダメ
こうやって状態の評価が、そのまま自分の存在の評価にすり替わる。
スルスル〜と無自覚に当たり前にすり替わる。
その結果、
不安を消そうとしたり、落ち着こうと無理にコントロールしようとしてたんだよね。
でも不安は自然に出るものだからうまくいかない。
つまり、問題は不安じゃなくて、
不安を自分の価値と結びつけてしまうことなんだよね。
人間って
不安にもなるし
不安定にもなるし
不機嫌にもなるし
期待もする。
それを「ダメだ」としてしまうことや、
人間って
不安にもなるし
不安定にもなるし
不機嫌にもなるし
期待もする。
それを「ダメだ」としてしまうことや、
「◯◯したほうがいい」これをずっと維持しなきゃいけないものとしてしまうことが問題であって
その状態がダメなのではないんだよね。
不安なときもある、不安じゃない方が行動が鈍らずラクな傾向があるだけ。
その状態がダメなのではないんだよね。
不安なときもある、不安じゃない方が行動が鈍らずラクな傾向があるだけ。
不安定なときもある、安定してるほうが判断しやすくて動きやすいことが多いだけ。
不機嫌なときもある、機嫌いいほうが人間関係はスムーズになりやすいというだけ。
期待することもある、期待しないと落胆しにくいこともあるというだけ。
良し悪しはないけど、関わりやすさや影響の違いはある。
その違いを変えようとするんじゃなくて、うまく付き合っていくんだよね。
例えばイメージは天気


今日は雨か(不安)
今日は曇りか(不機嫌)
今日は晴れか(安定)
天気って
変えられない
でも対処はできる。
例えば
雨の日
濡れるのは仕方ない
でも傘はさせる
不安の日
不安になるのは止められない
でも行動は選べる
「不安だな、動くのやめよう」
不機嫌なときもある、機嫌いいほうが人間関係はスムーズになりやすいというだけ。
期待することもある、期待しないと落胆しにくいこともあるというだけ。
良し悪しはないけど、関わりやすさや影響の違いはある。
その違いを変えようとするんじゃなくて、うまく付き合っていくんだよね。
例えばイメージは天気
今日は雨か(不安)
今日は曇りか(不機嫌)
今日は晴れか(安定)
天気って
変えられない
でも対処はできる。
例えば
雨の日
濡れるのは仕方ない
でも傘はさせる
不安の日
不安になるのは止められない
でも行動は選べる
「不安だな、動くのやめよう」
「不安だな、これくらいにしてやってみよう」とか。
晴れだけだったら逆におかしいのと同じで
安定だけの人間もいない。
晴れだけだったら逆におかしいのと同じで
安定だけの人間もいない。
正しくあろうと状態を直すことよりも、その状態の自分を否定する前提に気づくほうが先で、
否定しない状態で、
「今日はこういう日か」
「あ、この人も今日こういう日か」とか
そんな風に考えることができて、
「〜しなきゃ」じゃなくて
「〜でもいい」が当たり前にスルスル〜っと選べるようになったり
やるか休むかも、その日の状態で決められるんだなって思う。
「今日はこういう日か」
「あ、この人も今日こういう日か」とか
そんな風に考えることができて、
「〜しなきゃ」じゃなくて
「〜でもいい」が当たり前にスルスル〜っと選べるようになったり
やるか休むかも、その日の状態で決められるんだなって思う。
次回は
「〜しなきゃ」じゃなくて
「〜でもいい」が選べるようになってきた話を書いてみます。

