ちえちゃんのYouTubeを見て、気づいたことを今日は書いてみます。
YouTubeはこの記事で紹介されているので、是非みてみてください。
傷ついていたことに気づいた
子どもの私は、なぜ気づけなかったんだろう?
言えない私になった理由
私が身につけたものと価値観
私が信じていたお母さん
信じたかったお母さんとのズレ
でも、
「私が信じていたお母さん」と
「実際に子どもの私が感じていたこと」にズレがあるような気がしていました。
自分の自尊心の低さや
自己否定や自分責め
お伺い行動をしているのだから
そうではないんだろうなと思いました。
私へのお母さんの
関わり方や対応の仕方を振り返ってきて、
そして、仲の良い家族の関わり方を知る中で、
私のお母さんは、
私のことが大好きで
私の味方で
私を愛していて
私の存在が大切なんだと
私が感じられるような関わり方ではなかったんだと思いました。
子どもの私は、
お母さんに、関心を向けてもらえなくて悲しかったし寂しかった。
そんな気持ちが、
認定講座を受講してから、ノートにたくさんでてきました。
一旦母親のせいにして吐き出し続けました。
「お母さんも大変だったから」
「お母さんにも事情があったから」
そうやって相手を理解しようとしてしまうと、
「私は嫌だった」
「私は悲しかった」
「私は寂しかった」
という、自分の気持ちや息子の気持ちに気づけないままになると感じたから。
だから、お母さんのことは考えずに、「私はどう感じていたのか」だけを考えて、吐き出しました。
認めることが怖かった理由
認定講座を受講しながら、気持ちを吐き出して、
母親理解や自己理解を続けてきて、1年半くらい経ちました。
なぜお母さんはそういう関わり方になったのか、 お母さん自身の背景や限界も理解していきました。
そして今、
「なぜ私は、あんなにも認めたくなかったんだろう?」
と考えてみると
お母さんに関心を持ってもらえなくて傷ついてたなんて思いたくない。
だから、
自分を守るために
そうじゃないと生きてられない
死んでしまうと感じるくらい
怖かったし不安だったからかもしれません。
「私は、お母さんに大切にされていると感じられなかったんだ。」
と、数カ月前から、
薄々は感じていても、
それを認めることは、「私は愛されていなかったのかもしれない」と認めるような気がして、それが怖かった。
お母さんが私を愛していたのかどうか。
聞けるなら、聞いてみたいと思う。
だけど、お母さんがどう思っていたかよりも、
私が「大切にされている」と感じられなかったということ。
愛情があったかどうかと
私がどう感じたかは別のことだから。
私にとっては、
「大切にされている」と感じられなかったということが、悲しかったし寂しかった。
生きるか死ぬかくらい、大きなことだった。
だから、その事実を受け止めることが、私はものすごく怖かったんだと思う。
私の変化
自分の気持ちを言葉にすること。
自分の気持ちを優先すること。
それを少しずつ経験してきたからなのか、
相手のことを、すぐに決めつけなくなってきました。
前の私は、
「こうだから」 「こうに違いない」
って、決めつけて安心しようとしてきました。
相手を理解したかったというより、 自分を守るために答えを探していたように思います。
そうじゃないと、不安だったから。
でも今は、
「私はこう感じた」
って、まず自分の気持ちを感じられる。
答えを持っていないと不安だった私が、
「答えは1つじゃない」
とか
「わからないままでも大丈夫」
って、少しずつ体感してきたから、
「相手には相手の背景や事情があるのかもしれないな」
って、一度考えられるようになってきたのかもしれません。
相手を責めすぎたり、
逆に相手を守りすぎたりするということが、
なくなってきたように感じています。
それが、楽です。
今日も庭の水まき完了✨️
まだ7時なのに暑かったー![]()
可愛いミニパイナップル🩷
花屋さんでみつけて一目惚れ![]()

