カエターノとガルのアルバムDomingoの、2曲目の曲。アン・サリーさんが素敵にカバーしてて、気になったんだった。川というのは、Paulinhoのポルテーラ賛歌のO rio que~の歌みたく、多分、人生の比喩だ、と気付いたら、ちょっと歌詞の深みを感じた気が。

2行目と、3行目にigualが連続する箇所の、憎い感じは、ポル語でないと、味わえない気がする。故郷の川の事を歌う歌を、歌いつつ、その歌は、人生を歌っている、という感じ。

最後の一行で、すんなりと収まり、腑に落ちる、という感じ。後の、TropicaliaとかHaiteとかのアバンギャルドな歌詞と比べると、割と、普通っぽい文章。だけど、同じ単語を、次の行では、微妙に違う意味で使う、反復の技とか、なかなかカエターノっぽい。先に挙げたIgual使いとか、Passarを繰り返しつつ、前の行とは、少し違う意味合いを持たせる、辺りの技巧とか。簡単な単語ながら、面白い。が、訳は、全然自信ありません(笑)。

 庶民的なサンバの歌詞も面白いけど、まあ、やっぱ、Swami JRとか、カエターノとかの、知的な、上質な歌詞を訳すると、うっとりさせられて美しい。ま、ブラジルは、普通の庶民的なサンバとかの歌詞でも、すごく詩的な言葉使いの歌詞とか、ごく普通に見られるけど。(ブロークンな文法とか、荒いスラングとか使った、めちゃ下層的な歌詞も、ありつつも)やっぱ、歌詞の文章の詩的さ、質の高さは、文学の歴史の長い、ラテンの国、って感じ。
   

Onde eu nasci passa um rio

僕が生まれた所には、川が流れている         
果てがないかの様に、ずっと変わる事なく、流れている    
同様に、果てが無いほどに、僕の故郷も、僕の中に広がっていた        
時間が経っても、何も変わらないかのように、続いていた       
川が、海へ注ぐ事がないかのように、続いていた     

その川は、海へと注いでいる
僕は、すでに沢山の事を習得した
しかし、とりわけ私が歌い上げるのは      
ここで僕が歌っている、こんな事だ

今では、僕は、世界が、とてつもなく大きい事を、分かっている
そして、成熟する場所である、大海も     
しかし、川と共に生まれたのだ        
僕が、とりわけ歌う、その歌は       

その川は、海へと、ただ到着するだけ        
地面を流れていった後に。
私の故郷の川は
私の心に流れ込む