やっと気づいたのは

 

適当に扱うと

 

適当に使われるということ

 

 

 

では、大切に扱うって何?

 

 

これって、大切の定義が重要になる。

 

愛の定義もそうだけど

 

大切の定義も私は柔らかだった。

 

 

 

包み込む。。。。この一種類だった。

 

 

でも、本気の大切ってのは「ムチ」も使うってこと。

 

この「ムチを使う」を恐れるから舐められる。

 

 

このムチは誰かに使うのではなく

 

自分自身に使いますよ~

 

 

ここを、間違ってるから

 

「人に、ムチなんて使えない!

スパルタとか厳しくするなんてありえない!」

・・となってました、わたくし。

 

 

ではなくて、

 

幼稚な意識を厳しくしつけるという事です。

 

 

それを、本気でするんです。

 

それが大切にするってこと?

 

 

私の定義ではそうです。

 

 

私にとって私は大切です。

 

だから対人関係の不快は減る方がいいに決まってる。

 

変なブロックを乗り越え幸せを倍増するためには

 

鬼にもなれる・・・ってか、ならんといかんのです。

 

いや、なった方が得なのよ、

 

 

自分の幸せから逃げるな!!!

 

こういうことだと思うの。

 

 

 

この思考回路にたどり着いたら

 

大切にする、愛するの定義が変わり

 

ゆえに、人生もかわるな~って思うし

 

嬉しくないけど、人との食い違いや衝突が楽しめる。

 

イコール、毎日楽しいわけです。

(苦しくもあるが、成果山盛り)

 

 

大丈夫

 

必ず、トンネルは抜けます。