マイノリティ・リポート -26ページ目

僕は新しい事がしたかった。『REQUIEM FOR CRITICUE』

requiem for criticue

僕らの愛
僕らの短い永遠

僕らの愛は知っていた
街場レヴェルの
のっぺりした壁を

僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を

『THE BELOVED(Voice for THREE HEAD)』/William Gibson(黒丸尚 訳) 

04年、カメラメーカーのアルバムサイトで見た一枚の写真を、僕は忘れる事ができなかった。
「記念写真」と題されたそれは、ネットゲーム上のCGの画像を切り取ったものだった。
ネット世代にとって、ゲーム上で起こった出来事や、人との出会いは大切な思い出なのだ、と僕は思った。

“CENTER OF THE WORLD”なる作品の題名を読んで、即座に「こいつは自分が世界の中心にいると思っている」と考える人間は相当なバカだろう。
そんな奴がもしいるなら、きっとサザンオールスターズの事もいまだに勝手なシンドバットだと思っているに違いない。

以前にも書いたとおり、僕の作品『CENTER OF THE WORLD』はウエイン・ワン監督の映画『THE CENTER OF THE WORLD(邦題:赤い部屋の恋人)』より引用している。
映画のあらすじはこうだ。

IT系のベンチャー企業を起こした男が、一人の女性と取引を行う。
それはセックスなし、恋愛感情なしで個人的なショウをして欲しいというものだ。
女性は申し出を受け入れ、二人の奇妙な関係が始まるが、やがてお互いにある感情が芽生えていく・・・。

抑制された演出と、不可思議な物語が印象的な良作である。

話は変わるが、05年当時、ベッヒャー風のタイポロジーを用いた作品が流行していた。
ルフやグルスキー、ヘーファーといったベッヒャー・シューレの面々よりも、むしろそれ以外の人間のほうがベッヒャー夫妻の手法を忠実になぞっていたように思う。米田知子、澤田知子・・・。またこの年、写真新世紀で受賞した作品はインターネットで採集した、女性器の画像のタイポロジーであった。

タイポロジーの手法の可能性を認めつつも、僕は雨後のたけのこのように現れる作品群に食傷していた。それはいわゆる私写真においても同様であった。

僕は新しい事がしたかった。
いっそ、一枚の写真を物語化することは出来ないか。
いつか見た、あの「記念写真」が頭に浮かんだ。あの画像がもつ、ネット社会のリアリティを現前させたいと思った。

題名、ストーリーは、すでにそこにあった。
物語が引用であるなら、写真もまた引用であるべきだ。当時の僕はそう考えた。
僕はポルノサイトを巡って写真を探した。
写真は美しくなければならなかったが、ヌードであってはならなかった。何故なら、僕が探しているのは裸ではなく、その女の子だったからだ。

僕は即物的なリアリティを求めていたから、画像を身近な素材に定着させたかった。フォトペーパーに印刷して額に入れるなどもっての他だった。サービスプリントならともかく、それでは、コンセプトに沿わない全くの別物になってしまう。
コピー用紙と画用紙と和紙に実際に出力してみて、画用紙を素材に選ぶことにした。
インクが紙ににじんで、ドットが見えなくなっていたからだった。

全ては順調で完璧だった。
ホームセンターで買ってきた木の板を赤く塗り、最後に写真を貼ったときに僕は思った。
全ては寄せ集めだが、僕はおそらく今までにないものを作っている。
もし、これが世に認められれば、日本の写真にはまだ未来がある。
しかし、万が一世に出る事がなければ、その時には、また改めて作品を作る必要がある・・・
『REQUIEM FOR CRITICUE』として。

拙作「シアトル」についての補足(あるいは親子ほど年の離れた兄弟のはなし)

蜷川実花の写真にはある種の定型がある。

ファッション系などのグラビア雑誌、90年代に隆盛であった、いわゆるガーリーフォトなどのサブカルチャー、また同じく90年代に頭角を見せた写真家ウォルフガング・ティルマンスの影響である。
蜷川の写真スタイルはほぼこの3つの要素に集約されている。
ということは、すなわち類型の類型であるということだ。他に言うべきことはない。

例えるなら「みそ、しお、しょうゆという“3つのラーメンの味”が、“それぞれの店によって違う”」という程度の個体差でしかないということである。
でなければ似たような系統の女流写真家3人が一度に同じ賞を獲るわけがない。

蜷川の写真を語る上でよく挙げられる色の問題とてなんら複雑なものではなく、当初はただ単にティルマンスの真似をして、カラーコピーで写真を引き伸ばしていた。その際、コピーの特性上コントラストが高くなった、という事でしかないという。

それが海外の色彩豊かな光景を撮影した写真において色が強調されて見えたのである。
(といっても、同様の手法を使った写真家は大勢いたのだが、なぜか蜷川実花の写真だけが、いつの間にか本人の発言どおりにやたらに色が派手という事になってしまっていた)

その後、似たようなスタイルを持つヒロミックスの写真との類似や拮抗からフィルムの選択やプリントの操作によって「色の特殊化」が行われた。

蜷川の演出によるポートレイトにしても、ピエール&ジルの影響下にあることは明白だろう。

いずれにしても、その手法がデジタルであれアナログであれ、色の操作があることに変わりはないが、意識的に色をコントロールできるかどうかは別の問題であり、その点に蜷川の思惑、あるいは戦略、が“当たった”事は大いに認めるべきかもしれない。

ちなみに、筆者がこのような発言をしたのは、上記のように蜷川の作品を分析、検証していく過程で「なんだ、こいつの言っている事なんて嘘っぱちじゃねえか」と思うに至ったからである。

その上で、先に挙げた3つの要素に基づいた上で、なおかつ“自分の写真”を撮る事は可能だろうか?と自らに問うた。

かくして、筆者は撮影のために、シアトルに赴くことになったのである。
蜷川に対する言及によって穿った見方をされるであろう事も予想はついていた。
しかし、それは誤った解釈というものだ。筆者の写真を見ていただければ、似たような作品などないということがお分かりになるはずである。

壁紙を、替えた。

white以下、ヤフートピックスから引用。

 世界的な貧困根絶キャンペーンに合わせて国内で300万個販売された腕輪「ホワイトバンド」に対し、購入者から批判が出ている。「売り上げの一部は貧困をなくすための活動資金となる」との触れ込みだったが、>食料などを送るわけではなく、細かな使途も決まっていないため。

事務局は「ホワイトバンドは『貧困をなくす政策をみんなで選択する』意思表示が狙い。分かりにくかったかもしれない」と説明し、店頭で、募金活動ではないことを強調する表示を始めた。

 ホワイトバンド運動はアフリカの市民活動家らが、包帯や布などの「白いもの」を着けて貧困撲滅を自国政府や先進国に訴えたのが始まりとされる。今年7月に開かれたグレンイーグルズ・サミットへ向け、「ほっとけない 世界のまずしさ」をキャッチフレーズに、70カ国の市民団体が運動を展開し世界に広まった。

 日本では約60の市民団体が事務局を結成し、PR会社「サニーサイドアップ」(東京都渋谷区、次原悦子社長)が協力。7月から、レコード店やコンビニエンスストアなどで1個300円の腕輪を発売している。

 ところが、先月からインターネット上で、途上国を直接支援しないことへの批判が出始めた。事務局にも「途上国に募金が送られないと知っていたら買わなかった」「利益の使途を詳しく知りたい」などの批判や問い合わせが約500件も寄せられている。8月に購入した千葉県柏市の女子大生(22)は「募金にならないなんて知らなかった」と話す。

 このため事務局は、店頭に「途上国へ食料や物を届ける運動ではありません」と書いた黄色いステッカーの掲示を順次進めている。ホームページも同様の説明を強調するよう変更した。

 事務局によると、材料費や流通費などを除いた売り上げの44%を、活動の広告費や事務局の人件費、政策提言の研究費、PRイベントの費用などにあてる。今月末までに詳細な使途を決めるという。今田克司事務局長は「運動は『世界に貧しい国がある』と考えるきっかけを作るもの。政策提言や声を上げるために資金を使う。それが途上国への募金と同じような意味を持つことを理解してほしい(笑)」と説明している。【種市房子】

 ▽ホワイトバンド運動に詳しい紀藤正樹弁護士の話 (購入者への)表示法が多少変わったとはいえ、ホワイトバンド運動は自分で白い布を着ければよい。そのことを明示していないのは問題だ。
 日本版の運動は「貧困をなくそう」という意思表示運動の起爆剤にはなったが、今後ボランティアといった行動に結びつくのか、課題が残っている。

 (毎日新聞)なお、本文の(笑)は作者によります。

追伸:

 トラックバックステーションのお題が「アーティストの生き様に学ぶ 」という事なのでこの記事をトラックバックしてみました。

 アーティストは「異なった生き方をしている人たち、常人がやらないようなことをする」人達らしいので。

 これで俺も立派な"アーティスト”ですね。