水の汚れを感じたことがあるだろうか?
下水道が普及した今では、汚れた川も少なくなってきた。
例えば、スカイツリーのお膝元隅田川では、毎日屋形船が通り、川べりには桜が咲く観光名所になっている。
(出典:東京都建設局HP)
しかし1955年頃の隅田川はドブ川だった。
川べりを歩く人は皆、ハンカチで鼻を覆った。
新品の銅製品が2日で黒変し、商品価値が下がり被害額が5ヶ月で7億円に達したほどだ。
どのようにして水はきれいになってきたのだろうか?
これからも水をきれいに保つために、順を追って説明したい。
■水質汚濁の歴史
水が汚れる原因は、火山噴火や動物の活動などの自然現象の一部も含まれるが、
人の生活および産業活動に伴って発生する廃棄物や排出水による汚染・汚濁などの影響が大きい。
日本における環境問題は、鎖国を解き、欧米列強に対するために殖産興業を国の大方針とした明治時代にすでに発生していた。1887年に足尾銅山の鉱毒事件があったことは知っている方も多いだろう。
大戦中においては1938年の国家総動員法の制定などにより、戦争の遂行が最優先事項となり、環境保全の動きは存在の余地を失っていた。戦後の復興を目指す中においても、環境施策が展開されるようになるまでに、多くの時間を要した。
戦後1950年からは日本経済は未曽有の成長過程に入った。
日本は官民あげて、日本経済を高度成長軌道に乗せることに努め、このとき産業活動が環境に及ぼす影響は質・量ともに大きく邁進した。
日本の産業構造は、資源を輸入・加工し輸出する構造で、具体的には重化学工業が主であった。
重化学工業は、加工後の製品量より加工中に排出される汚染物質量が多い。
これが諸外国に比較して日本で激甚な産業公害が生じた1つの要因である。
また、もう一つの要因が土地利用である。
重化学工業は多くの土地・空間などの環境資源を消費する。
元来、我が国の可住地面積は諸外国に比較して狭く、その狭い土地空間における人間活動は高密度であった。
すでに多様な土地利用が行われていたところに新たに大規模な工場が付加され、とくに臨海工業地帯での住民への公害問題は急速に悪化していった。
そして経済成長に伴い、家庭でのエネルギー需要は伸びた。
家庭のエネルギー消費量は、1960年から1970年までに3.4倍に増加し、製品に対する需要も急速に増加し、これが重化学工業をさらに推し進める要因となった。
高度成長期においても下水道や廃棄物処理施設の整備は進められた。
しかしその量は公共投資全体額の5%程度と低く、排出量に追いつかない状況であった。
1965年における全国の下水道普及率は14%と低かったが、その要因は用地費の上昇であり、人口の集中した3大都市においてより顕著であった。公害対策が必要な地域ほど生活環境施設の整備が困難であったのだ。
1945年頃には漁業が盛んに行われていた隅田川も、1955年頃から魚がいなくなり、悪臭を発するどぶ川となった。人口増により増加した生活排水と大量の工場排水がその原因であった。
1955年には富山県でイタイイタイ病、1956年には熊本で水俣病、1958年には江戸川下流での貝類大量死、1960年には大阪の淀川や伊勢湾でも魚の大量死が相次いで起こった。
このような被害に対して、まっさきに対応を求められたのが地方自治体である。
環境問題は地域の地形や気候、産業発展の程度によりことなる様態をもった地域的問題として表れた。
地方自治体は、国に先立ち自らの力でその解決にあたらなければならなかった。
結果として地方自治体の公害防止に関する施策の進展が、国の公害防止施策を推進し、定着させることにつながった。1949年ごろから地方自治体で公害防止条例が制定され始めたが、実質的な防止効果は発揮できなかった。国は1953年に「水質汚濁に関する連絡協議会」を開催し、1958年に「公共用水域の水質保全に関する法律」、「工場排水等の規制に関する法律」を制定した。
しかし同法は国民の健康保護と生活環境保全とともに産業相互の協和を目的としており、公害規制の観点が貫かれたものではなかった。年率10%近い経済の成長により加速度的に激化しつつあった公害問題に対しては、有効な対策となり得なかったのだ。
そして10年後の1967年に公害対策基本法が導入されることになり、やっと対策が進むことになった。たが、その際も産業界は反対の立場をとっていた。
民間の公害防止投資は1965年には極端な低水準にあったがその後急速に増加した。
1966年度から1971年度にかけては、公害防止投資額が前年度で最高69%の伸び率となり、公害防止投資の急成長期となった。
民間設備投資全体に占める公害防止投資の割合は、1965年に3%であったのが、1972年度に約6%に上昇し、その後1975年度には17%となったのだ。
こうして20年~30年かけ、徐々に環境問題は緩和されていった。
どぶ川も汚れを流さず、底にたまった汚れを掻き出せば、きれいになる。
しかしそれには人々の苦労と長い時間、そして多くのお金がかかる。
自然あってこその人間生活。
現在の我々も、苦労の歴史を知り、暮らしていかなければならない。
「当たり前の恩恵」に感謝しなければいけない。
そして今後も環境を汚さず、発展していかなければならないのだ。