俳諧伝授 -51ページ目

待宵の

きょうは、陰暦八月十四日。


明日は、十五夜・仲秋の名月です。


その前夜である今夜、を「待宵(まつよい)」と云います。


昔の人は、十五夜の前夜を特に待宵という名で呼んでいたのですね。


待宵
陰暦八月十四日の夜である。十五夜の月を待つ夜の義である。明日の晴曇がはかりがたいとして、待宵の月を賞するのである。小望月(こもちづき)とも言う。「待つ花」と同じで、月も「待つ心」をとくに尊重して、「待宵」と言った。(後略)
〔山本健吉『基本季語五〇〇選』(講談社学術文庫)〕


「待宵」の意味は文字どおり「宵を待つ」。


宵は、


よい【宵】ヨヒ
日が暮れてからまだ間もない時。また、ゆうべと夜中の間。初夜。初更。また、よる。夜間。允恭紀「わがせこが来べき―なり」。万葉集10「遠けども―さらず見む妹いもが当りは」。「―のうち」「―っぱり」
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


です。


「宵を待つ」「待宵」いずれも一般的な云い方ですよね。


何も知らなければ「待宵」は、ただ一般的な「宵を待つ」意味しか持ちません。


ところが、これが特定の陰暦八月十四日の夜を指示する語となったとたん、「陰暦八月十四日」の夜が他の時間から切り出され、自己同一性を獲得し不変不滅の対象となってしまうのです。


コトバによって混沌が切り分けられ存在者が誕生する瞬間に、あなたは立ち会うのです。


「名付け」の不思議ですね。


「言葉は存在の住み家である」と云ったのは、二十世紀最大の哲学者ハイデガー(Martin Heidegger 1889~1976)でした。


十五夜の前夜を個別に指示する語があるなんて、素敵だと思いませんか?


いちいち「十五夜の前夜」なんて云わなくても、端的に「待宵」と云っただけでそれは「十五夜の前夜」であり「十五夜の月を待つ心」さえ意味しているのです。


知らなかった人は、この機会にぜひ覚えてくださいね。


豊富な語彙は、心を豊かにします。


十五夜の前夜を「待宵」と呼べることによって、あなたの人生に不変不滅の対象が一つ確かに加わるのですよ、ふふふ。(←何の笑いぢゃ?)


発句をご紹介しましょう。


森川許六(もりかわ・きょりく)(1656~1715)に、


西瓜ほどまだ斜あり小望月  許六


|すいかほど○○|まだひずみあり|こもちづき○○|


という発句があります。


十五夜の満月に比べるとほんの少しだけ欠けた十四日の月を「西瓜ほどまだ斜あり」と捉えて、面白いですねぇ。


「欠ける」と云わず「斜(ひずみ)あり」と云ったのも、これまた面白い。


西瓜を、比喩に持ってきたのもいい。


与謝蕪村(よさ・ぶそん)(1716~1783)には、


待宵や女あるじに女客  蕪村


|まつよいや○○|おんなあるじに|おんなきゃく○○|


があります。


待ち遠しくてウキウキした心の弾みが、よく出ていますよね。


明日の宴席の料理とか、月へのお供え物とか、女性陣はいろいろ準備に忙しくもあるのでしょう。


待宵の感じがよく出た発句です。


では私も。


待宵の雨は上がりぬ街の音  ousia


|まつよいの○○|あめはあがりぬ|まちのおと○○|


スゥッ・・・(ーoー)y゜゜゜