私は、2歳の頃に母親から引き離され環境が激変しました。
その頃から失語症に成ってしまいました。
3歳頃に脱腸の手術をして麻酔が効きすぎて生死をさ迷いました。
その頃から夢遊病に成って、戦災でお亡くなりに成った子供と鬼ごっこをしていました。父親が探しに来て、おんぶで変えるときは失語症は無く、鬼ごっこの話をしていました。
小学校に入学する頃に、自分の名前が言える様に訓練をして入学しました。その頃は、生きて居る人は光に包まれ、死んだ人は薄暗く見えて居たのを覚えてきます。
近くの駄菓子屋のおばさんが、早朝に空き地で遊んでいる私に「頑張るように」言って居ました。
大阪では、お葬式の時に「いわおこし」というお菓子を配ります。
そのお菓子を貰いに行った家が、おばさんの駄菓子屋さんで、旅立つ前に会ったのです。
これから起きる出来事が、少し前にデジャブーのように映像に成って見えていました。避けることが出来るときと、避けられないときがあったのを覚えています。
小学校の3年生の頃、友達のアパートが燃えているのが見えました。直ぐに友達に伝えに行きましたが、友達は留守で会えませんでした。翌日、学校に行くと、昨夜その友達のアパートが全焼だったことを知りました。
中学1年生の冬に交通事故に遭遇して、タクシーに跳ねられました。一緒に居た友達を助けようと、友達を突き飛ばして自分が跳ねられました。左足骨折と脳挫傷で心肺停止状態で病院に運ばれて蘇生しました。救急車で運ばれる間、脳に酸素が運ばれなかったので危ぶまれていました。
1週間の昏睡状態の間は、霊界に行って居たのを覚えています。
守護霊様から、まだ人間界で修業が待って居ると説得されて戻ったのを覚えています。
1995年の関西淡路大震災に遭遇した時も、前夜に守護霊様から自宅に帰れてお告げを受けて助かりました。その頃から本格的に占いの勉強を始める様に成りました。
現在は、手相や四柱推命術を観るのは、イマジネーションを作るためで、頭を切り替えるためです。お話を聞いて居ると、過去の出来事も、未来の出来事も、脳裏に映像に成って見えてきます。
その人の守護霊様なのか?ご先祖様なのか?人の言葉で助言が聞こえるのです。
運命は絶対的なモノでは無く、占いとは悪いことを避ける方法を教えることです。良いことも教えて、チャンスを掴んで未来を変える方法だと考えています。