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ウーゴズ・ブログ|kumaのブログ(アート編)

美術館向けの展覧会企画に携わってきたKuma氏が語るアートのつれづれ。

《大人の仕事に一心不乱な子どもたちの不思議ワールド》

小さな職業人たち

1949年(昭和24年)、藤田は、戦争画を描いた多くの画家たちの責任を一身におしつけられた形で日本を去り、ニューヨーク経由でフランスに向かいました。この時、羽田空港で藤田が日本画壇に残した次の有名な次の言葉は、今日の我々にとっても深く考えさせられるものがあります。

「絵描きは誠実に絵だけを描いてください。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く世界水準に達してください」

 1920年代のパリでは、陶器の肌のように艶やかな乳白色の地の上に、見事なまでに細い黒の線描で描かれた裸婦で一世を風靡した藤田でしたが、追われるように日本を去ってフランスに永住した晩年は、子どもの絵をたくさん描くようになりました。
 藤田の描く子どもは、一様におでこが大きく、目がつり上がって、おちょぼ口をしています。どこか不機嫌そうで、決して笑わなさそうです。彼らは大人の視線をまったく気にせず、好きなことに熱中しています。でも、その行為を特に楽しんでいるという風でもありません。子どもでありながら独特の虚無的気配を漂わせています。まさに独特なフジタ・ワールドですが、そこには、心ならずも祖国を捨てることになった藤田の哀しみと虚無感が満ちているようにも感じられます。
 そんな中で異彩を放つのが「小さな職業人たち」というシリーズです。そこでは、子どもたちが、大人の職業を必死でまっとうしようとしています。決し可愛らしい子どもたちではないのですが、その必死の姿に共感させられてしまう不思議な魅力に満ちあふれています。
 ウーゴズの展覧会では、「洋服売り」「ガラス売り」「石研ぎ(刃物研ぎ)」の3点がご覧いただけます。
 
 
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「小さな職業人たち」の展示風景

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洋服売り

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ガラス売り

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石研ぎ(刃物研ぎ)
           狂乱のモンパルナスのスター藤田は下戸だった!

 第一次大戦後、1920年代のパリ。モンパルナス界隈に集った異邦人画家の集団「エコール・ド・パリ」は夜な夜なカフェに繰り出しては馬鹿騒ぎをし、酒と狂乱に満ちた祝祭の日々に明け暮れていました。
 そんな中で、オカッパ頭にロイド眼鏡をかけ、チャップリン風のちょび髭をはやした藤田は誰よりも目立つ存在でした。同じエコール・ド・パリのスターであったモディリアーニは、貧困にさいなまれながら、酒と麻薬と女に溺れて夭折した呪われた画家というイメージがつきまとっています。
 そこから、フーフー(Foufou、お調子者)という異名をとっていた藤田も、酒に酔っては狂態をさらしていたとのイメージがありますが、実は藤田は一滴もアルコールが飲めない体質でした。藤田がエコール・ド・パリの中でもひときわ目立つ恰好をして、ふんどし姿の裸踊りまで演じてみせたのは、実は酒に酔えない体質をカバーするための過剰演技だったのかも知れません。
そう言えば、土門拳撮影の藤田の生活写真を多数掲載し、藤田理解には欠かせない第一級の書籍資料のタイトルも、「酒と女とモンパルナス」ならぬ「猫と女とモンパルナス」ですね。

「猫と女とモンパルナス」はギャラリー・ウーゴズ南青山の会場でご覧になれます。

$ウーゴズ・ブログ|kumaのブログ(アート編)-猫と女とモンパルナス
藤田嗣治は「つぐじ」か「つぐはる」か?

 今日(2/14)ウーゴズの藤田展を見に来られたお客様から質問がありました。

   —藤田は「つぐはる」なの?それとも「つぐじ」が正しいの?

その方はずっと「つぐはる」だと思っているけれど、まわりでは「つぐじ」が大勢で、その方が「つぐはる」と言うと怪訝な顔をされるのがちょとくやしいということでした。

 正解は、「つぐはる」です。

もっとも、藤田自身も「つぐはる」と「つぐじ」のどちらも使っていたようで、混乱の原因ともなっています。彼は次男だったので、小さい頃、家では普段「つぐじ」と呼ばれていました。森鴎外の後任として陸軍軍医総監にまでなった父「嗣章」(つぐあき)からは、パリ留学前に「画家として名を成したらツグハル、落ちぶれて風呂やの三助にでもなったのならツグジと名乗れ」と言われたというエピソードもあります。

 また、1920年代のパリでエコール・ド・パリの一員として大成功をおさめたころは、フジタのフランス風綴りのFoujitaから「Foufou」(フーフー、フランス語でお調子者)とのあだ名で呼ばれていました。酒と狂乱の日々に明け暮れた夜のモンパルナスでもひときわ目立っていた藤田らしいあだ名ですが、実は藤田は酒が一滴も飲めず、どんちゃん騒ぎをしながらも常に冷静であったようです。



 戦後、戦争画家としての責任を背負わされる形で日本を離れ、フランスに移住した藤田は、1973年、73歳の時にカトリックの洗礼を受けレオナール・フジタとなりました。

 蛇足ですが、2008-2009年に巡回した「レオナール・フジタ展」は、意外に動員が少なかったようで、その原因のひとつは、一般の人々にはレオナール・フジタと藤田嗣治とが結びつかなかったからだという説があります。


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三美神 リトグラフ 1960年