人による、文化による、言葉による、コミュニケーション | OUR PACEのブログ

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皆さまこんにちは。
角田です。日本のゴールデンウィークのことなんてつゆも知れない海外で、勝手に私もゴールデンウィーク。
とか思ってベッドの上でまどろんでこのブログを打っているswedenからお届けします。

最近、友達に日本に帰るのが恐いと言いました。
コミュニケーションスタイルの違いがあるからと言いました。
そしたら友達は、私がその理由で言った日本でのコミュニケーションの苦労があまり無いと言っていました。
曖昧さ加減から自分にとって良い意味で捉えていけるそうです。
おぉ、すげ~!って思いました。
そんで、かえって自分はどうやろうって、考えさせられました。

私はそれ聞いて、あ、私その逆の超ネガティブかもって思いました。人から言われる言葉、たいてい悪い方向で受け取ってしまう。良い意味に受け取るどころか、どんなに良い言葉を言われたとしても、それを信用してない。先ず、自分と家族以外の人の事なんて全く信用してない。だって、めっちゃ裏切られたことありますから。「はぁ~?何それ~?」って思う場面経験してきましたから。でもそう考えたら、自分はめっちゃややこしい人やなぁって気付きました。かえってその人は、人と付き合えやすい人やろうなぁって思いました。
私はの場合「信用してない」ところから始まるって言えるかなと思います。

時々日本語話してる人と話してて感じるのは、言葉で良い風な事いくらでも言っておいて、行動が違ったりするのをよく見かけるな。って思います。文化のせいでしょうか。相手の良いように言っておきながら、結局その言葉に置いた自分の意志とか気持ちがどれだけあるかを自分で問うてない人は、全然行動がついて行ってなかったりする。それ見ると、もうやめてよ。って思ってしまいます。思いやりとか、相手の事を思ってとか、そんなのいいから、先ずは自分がそこにどれだけいるのかを大事にしたらって。なので、日本の友達には時々、私の事は良いから、あなたはどう思ってて、どう考えてるの?って、聞いたりします。それは、こちらがどんなに傷つくにしても、はっきり言ってもらうほうがすごい相手に信頼置きやすいし、良い風に言われた事ずっと信じてて、それが全くそこにその人の気持ちのない嘘やって、大きく傷つけられる裏切りを後で見るよりは、その方がずっとましやって経験から思ってのことやと思います。それに、はっきり言ってくる人との出会いは、あ、この人こんなこと考えてるんや。こんな人もいるんや。って知れて、また生きてる事が面白くなるから。素直に思ってる事口に態度に出して、何が問題なん?っその表に出てるものが気に障るようやったら、文句言いあえば良いし、ぶつかって知れる事あるやろうし、本質的な部分で変わらん限りやったら、そうは言われても、これが自分やから。って言えば良いのに。って根の部分では思うんですよね。でもこういったことをそこまで強く思うのは、実は私自身が今まで人にそう言うことを散々出来てこなかったからなんです。少し違う文化、コミュニケーションスタイルを持つ海外に出て、ここでは自分の望んでることが行えるっていうか、逆に相手に失礼やろう!って思ってしまうくらい、向こうから自己主張してきて、おまけに有り難い事に、いつも「Because/Därför att」までご丁寧に付けてくれるので。そっから、こっちも黙ってるわけにはいかん。と思って自分の事負けじと言うこともあるし、めっちゃ向こうから、あんたどう思ってるのよ!はっきりしなさいよ!って聞いてくれることもあるから、はっきりいって、今は楽やなぁって、思います。最近では相手にわざわざ聞いてもらう前に自分からべらべら自分の思ってる事話してしまうくらいになりました。でも、帰ってからはどうなるのか本当に予想付かなくて。だから、ちょっと心配なんです。何かせっかく学んだものとして、この8か月の短期間で出会えた良い信頼出来る人たちとの出会いを考えても、自分の生きる上での掴み方として持って帰れたらなって思ってるんですけど。気遣いの文化がある、相手の事を考えられる文化がある国に帰るのなら、その文化を自分の価値と照らし合わせて、合わん。とか、自分はこう思うから違ったこういう風にするとか、本間にそれが今の状況で、相手にとって、あるいはその場にとって、そして自分にとって、遣うのが最善かどうか見極めてから遣えるようになりたいなと思ってるのですが。どうなるのでしょう。人間それぞれ自分を持って生まれて、しかもどこで生まれるとか選んで生まれてきたわけじゃないんですから、文化が自分の生き方に沿うか沿わないかはもう自明の事として、人それぞれですよね。じゃあ私は自分の文化を築いていけたらなって。辺にかっこよく言えば、そんな風に思いました。

ただ、誤解を生みたくないのが、日本人以外の人はみなはっきり言ってくる!日本人は曖昧だ!ってこの文から生みだす認識はかなり危ういです。私が上げてる例はあくまで自分が出会ってきた中での割合でいう話。私がまだ出会ってきてない人はたくさんいるわけで、加えて出会ってきた人の中に多数派がいれば少数派もいます。さらに細分化すれば、やはり人は人それぞれという話になってくる。なのでかなり安易に「海外対日本」の話で片付けられる話でないと思います。また、逆に少数派の人の話として取り上げるなら、違ったテーマで面白い話があるので、気になる人は、角田にお問い合わせ下さいね。

あと、ここでもう一つ言っておきたいのが上のコミュニケーションについて述べた中で、「はっきりする」という言葉を使いましたが、正直人間って一時的で、曖昧で、わりと変化に富む生物でもあると思うから、いつもはっきりしてなきゃいけない。言った言葉全てに責任持たなあかんとはまったく思いません。それはまたおかしな話ですよね。ただここでもコミュニケーション的な話で気付くことを書かせてもらうと、そんな自分の気持ちなり考えに変化があったら変化があったで、それを口にしない事は、あまりよくないなと思いました。せめて何でその変化があったかは自分の口から言わないと。こちらに来て思った事です。だってわりと周りの人が、ものすごく自分の気持ちに素直で、その場その場で言ってきてくれることが多いから。むっちゃ楽ですね。これしてもらえると。私は、全然この辺自分自身がだめな部分で、むしろまだ気付いてないところでこういうことがたくさんあると思うのですが、それは自分の課題として、せめて人に対しては、気になる事があったらすぐ「何で。どうして。」って聞くようにしてきたいなと思ってます。それ無しに時間が過ぎて行って、互いに黙ったり、あとから「ごめん」って都合よく謝ったり、謝まられたり。そうするのも見るの嫌やし、てか後から謝っても、仕方ない事やから「良いよ。仕方ないよなぁ。」って言葉以外にそこに選択肢が無いことだってあると思うので。でも自分からしてみて気付く。自分にとっては、「何で」って聞くのはわりと勇気がいるし、タイミングとか気も遣う、聞きづらかったりもする。こうして、人ってエネルギー遣ってもらったり、遣ったり、してるんかなぁって思ったりして終わろうとしてる今は、まだ苦労もせず、のんびりとご都合主義にはまれる生き方を示してるようです。

とりあえず、まだまだ反省点は尽きないにしても、幸いな事に、何となくのこの自分文化スタイルで、今まで良い人たちに出会ってこれました。この先は分からんのやけど、もしこの先いくらこれを持って進んでも全然だめで、逆に人に裏切られまくったり、友達が全然出来ないようになるなら、ぶつかるか、変わるか、消えるか、逃亡か。まぁ、その時々の考えどころですね。今のところは元気が余ってるみたいなので、信用してないものを、さらに否定してくれる、「まいったぁ~!」って自分を良い意味で覆してくれる存在に、出会っていける希望は、たくさん持ってます。
暫時は、ネガティブ発信、ポジティブ人間です。

あと、なんでそんな風に考えるよう育ったかなぁって思ってみると、結局ここにたどり着く。
私が人に信用を置きにくいというか、ちょっとしたことでも裏切り。って取ってしまうようになったんは、根源的には、周りの事考えて自分を見失ったり、自分に嘘ついたりする事とは、縁もゆかりもない家族の中でまた育ってしまったからっていうのが大きいと思います。好きは好き、嫌いは嫌い。家族とはいっつも「は?何?はっきりいってくれちゃって!めっちゃむかつく!」ってしょっちゅう喧嘩で、で、そうやってるから、お互いの信頼も、愛情も、切れないです。不器用でもお互い信頼は置いてるし、愛情の揺れがあるにしろ、ここに深い真実味があるのはよく分かる。やから逆にどうしても外でた時に、ガーン!ってなったり、この部分に敏感になってしまうみたいです。ねぇ、どれくらい深い場所でみんな繋がってるん?って。
まぁ、でもここからが勝負どころですよね、一人の人間として。だって心の見える自分でもなく、血の繋がりのある家族でもなく、なんの御縁もなかった、正体不明の赤の他人さんたち相手のことですから。
また、そうやって背負った自分の育った環境を一番良い意味で生かして、自分でまた掴んでいくこととして、始めからは諦めずに、でも自分ごまかさずに、もちろん相手もごまかさせずに、その都度当たって言ったら良いって、もう見切りついて前向きに思えてます、最近は。それはこの生き方のおかげで、出会えてる人たちがすでに何人かいるからと思います。出会った人たちに関しても、ちょっとやそっとで私は諦めんので、気を付けて下さいね。そして、これから出会う人たちは、容赦ないんで気をつけて下さいね。って具合に、生きていけたら良いですね。
信じてるのは自分。家族。そして増殖中の赤の他人さんたちです。

あともう一つ最後に、その不器用で個性のバラバラな家族のことで一つ、最近面白い出来事があったので書かせてもらいます。家のパソコンのネットが先月中ごろから繋がらず、しばらく電話でなくメールで色々とやりとりしていたところ、調子はどうかという内容を載せたメールに対して母からついに返信が帰って来なくなり、最近とても心配になってました。が、ちょうど一昨日頃無事ネットが普及し、電話をしてみたところ、全く元気な様子。メールの返事が無かったのは、メールが来た事気付いてなかったから(「来てない」と悪魔で言い張りますが)だそうで。むっちゃカラっと元気にしてました。そして、ものすごいトークの始まり!!
最近見てるドラマではまっているもの、俳優の名前から全て。どこに最近でかけたか。誰と話したか。どこどこでこんなコンサートあってね、、誰誰さんが、あんたにピアノ弾いてって、、誰誰先生がね、、あ、いとこの旦那さんがK大の軽音サークル、、、あんたのやってるバンド、、誰誰は、今あの大学行ってて、、、誰誰の就職先は、、、誰誰の奥さんがね、一度会ってみた、、、おばぁちゃんとチャト(うちのうさぎ)があんたの帰りをものすごい待って、、、帰ってきたら琴を教えてあげ、、アコーディオンを習うならあのせんせ、、、

母は、帰ったらものすごい勢いで集めた花束を渡してくれそうです。

私は一言、言いました。
「何でも良いけど、帰ってから、取り囲まないでね。逃げるからね。」

母「苦笑」

こちらは、ものすごい勢いで逃げる、逃亡宣言を果たしました。

就職するまでの実家暮らし。
自分にとって、誰よりも可愛くて愛おしい、やっかいでおせっかいで、育った環境がよく似ていて、でもやっぱり違う、誰よりも尊敬する、私に心をくれた、世界でたった一人の母と、家で共同生活するのもそう長くある話では無いと思います。考えると、寂しいものですね。

ではでは今日はこの辺にて。

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