「韓信の股くぐり」。イロハふたまわり目もあと最後「つ」「ゑ」を残すのみになりました。流石に93歳、股くぐりも曲げた腰が伸びにくくなってきました。もう幕引きの時がきたようです。「杖」にすがってスフィンクスの謎かけに挑戦しましょうかね。楽勝、楽勝。オマケに漢字の「京」を入れて、漢字で〆たいと工夫しているところです。
[そ] 林芙美子
案山子(そほど)強(し)ひ 放浪(さすらひ)の手(て)を 升(ます)目埋め
朱魔(すま)を掌(てのひら) 荒(すさ)びし枢(とぼそ)
—――そほどしひ さすらひのてを ますめうめ
すまをてのひら すさびしとぼそ
———案山子(かかし)が強く勧めるので、放浪ですっかり荒れた手ながら原稿用紙に向かい女神の魔力をかりて文章にまとめることにしました。そうしてできたのが、『放浪記』です。
案山子(そほど):そおず。久延彦(くえびこ)。「あしひきの(枕詞(まくらことば))山田のそほづおのれさへ」[訳] 山田のかかしよ、おまえまでが…」。
古事記に「久延毘古とは"山田のそほど"のことである」とある。「山田のそほど」とはかかしの古名であり、久延毘古はかかしを神格化したもの、すなわち田の神、農業の神、土地の神である。かかしはその形から神の依代(よりしろ)とされ、これが山の神の信仰と結びついた。神名の「クエビコ」は「崩(く)え彦」、体が崩れた男の意で、雨風にさらされて朽ち果てたかかしを表現したものである。また、「杖彦」が転じたものとも取れ、イザナギが黄泉(よみ)から帰ってきた後の禊(みそぎ)で杖を投げ出した時に生まれた船戸神(ふなとのかみ)(岐神、道祖神)との関連も考えられる。
林芙美子(はやしふみこ):複雑な生い立ち、様々な職業を経験した後、自伝的作品『放浪記』、詩集で文名を高めた。戦後、新聞小説で成功を収め、『浮雲』『めし』(絶筆)。色紙によく、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いた。
いろは歌は2巡目なのでいろは歌第二番を自作し,
いろ葉(は)匂(にほ)へど散(ち)りぬ夢(ゆめ)
浅(あさ)きを吾(われ)も見(み)てし夜(よ)か
有為(うゐ)嶺(ね)越(こえ)るや曼荼羅華(まんだらげ)
宿世(すくせ)負(お)ふ日(ひ)の南無(なむ)ぞ杖(つゑ) 〈京〉
この順序に従いました。「ゑひもせす」が「なむそつゑ」になっています。この二番には欠陥があります。このキズを修正したものを工夫中です。みなさんは、どこがマズイのかおわかりですか?
案山子の別名が「杖彦」。これを詠みこんで…という工夫も盛り込んだ贅沢なメニューが今日の作品でした。「さかしら伊呂波」の放浪の記もそろそろオツモリの記。
気温一桁ですってね。