[ゆ] デカルト
故(ゆゑ)にスム とやコギトして 得(え)し吾(あ)の吾(あ)
自(じ)得(え)て自(じ)解(と)き後(ご) やと生(む)すに会(ゑ)ゆ
———「我思う。故に我在り」、やっと自我に目覚めた、という次第だよ。
スム、コギト:ラテン語訳の Cogito, ergo sum 。
cogito =我思う、 ergo = 故に、 sum = 我在り)。との標題が有名。「私は考える、ゆえに私は存在する」の意。
デカルトが方法的懐疑の末に到達した根本原理。すべてを虚偽だと考えることはできても、そう考える自己の存在は疑いえないとし、この自我の明晰、清明な確実性をすべての知識の基とした。
哲学的に近代合理主義の出発点をなした命題とされている。
これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。
『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者がラテン語に訳し、デカルト自身が校閲した際の表現の一部らしい。
やと:【副詞】①辛うじて物事をするさま。ようやく。
ゆ:【助動詞】上代の自発。受け身・可能を表す。ある動作が自然に無意識的に実現する意。スルに対してナル。(自発)
♬ デカンショ デカンショで半年暮らす。あとの半年や寝て暮らす ヨーイヨイ デッカンショ
(以下ネットより)
デカンショ節(でかんしょぶし)は、兵庫県丹波篠山市を中心に盆踊り歌として歌われる民謡であり、学生歌としても広く歌われた。篠山節、篠山デカンショ節ということもある。篠山市無形文化財。
2015年(平成27年)4月24日、文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれた。
デカンショは、デカルト・カント・ショーペンハウエルの三大哲学者の名前からできていると言われています。ウロは、方言の「でがんしょ(でしょう?)」だろうと思うのです。新潟に住んでいたときに確信しました。お風呂から出てきた人が「いい湯でがんした」といいました。ちょうど新潟大地震で、大変な目にあいましたけど、美しい人情と方言でした。丹波篠山もいいところだろうなと思います。