句解17霽・花見次郎
仏喰うたる魚解きけり (前句再出)
県ふるはな見次郎と仰がれて 重五
「花見次郎」黄花庵升六編 寛政12年(1800)刊という本があります。
巻末に「花あるかぎり風狂を尽して」とあとがきがある本書は、古来、桜の名所として知られる吉野・初瀬・嵐山の3巻、各8丁からなり、各巻、その地を題とする俳文を掲げ、当地の桜の花弁を貼付、続いて発句、歌仙を収める。実物の花びらを貼り付けた本書は、なかでも粋狂な作。編者の升六(しょうろく)は江戸時代後期の俳人。升屋六兵衛。大坂の人。芭蕉堂3代当主となり,正風道場と称したそうです。小林一茶と親交がありました。この雑評のもとにしている、「芭蕉連句評釈」(安東次男・著)は、幸田露伴・穎原退蔵・折口信夫・能勢 朝次らの文献とともに升六の「花見次郎」が参考渉猟されています。
「太郎」「次郎」は輩行名と呼ばれるもので、「輩行」(一族のうち「同世代の者」という意味で、通常は兄弟)のうちの序列(=出生順)を表し、今日でも日本人の名前として一般的に広く用いられています。また、「○太郎、○次郎……」といった風に、その前に文字を付ける例も多い。
これら太郎、次郎といった名乗りの始まりは、嵯峨天皇が第一皇子以下に対して太郎、次郎、三郎といった幼名を授けたことに由来するそうです。
古来の中国においては、実名(諱 -いみな)で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が呼ぶ事は極めて無礼とされ、代わりに字(あざな)と呼ばれる、本名とは別の名前を使った。日本においても中国のこの風習が伝来し、本名で呼ぶのを避け、代わりに仮名(けみょう)と呼ばれる通称を用いるようになりました。この仮名として、輩行名が使われるようになった。(この項、ネットより)
人名以外にも擬人化するときによく見かける語です。坂東太郎・筑紫次郎、など。
市役所の筆記見本に「東京太郎㊞」とありました。
毛虫は桜が大好きで、たかる毛虫の種類が数十種にわたりますが、そのなかに「白髪太郎」があります。樟蚕というヤママユガ科の幼虫です。同じころ発生し猖獗するのが花見虱(はなみじらみ)で重五は、「はなみじらう」と擬人化(オヤジギャグ?)したのでしょう。
花見虱(ハナミジラミ):花見のころに繁殖し、衣服の襟などに這い出るしらみ。季語・晩春。ただの「虱」は、三秋の季語。「蚤」は、三夏の季語です。すると、有名な
蚤虱馬が尿する枕もと 芭蕉(「奥の細道」)
この句は季重なりの禁忌をおかしていることになるのでしょうね。
「あがたふる」は、「ちはやふる」①荒々しい、氏(うじ)や神の枕詞。「チハヤフル」がウジの枕詞なら、「アガタブル」はハナジラミの枕であっても不思議ではない。としたもの。
阿伽陀(健康・不死の霊薬)、ふる:①傾倒する。気が狂う。②時が経つ。時を経る。③たふる(倒る)。傾向にある。しやすい。
あがたふる:アレルギーによわい。虫の毛に触れると、かぶれやすい。
ここは其人付で、
———やはりホトケが網にかかるようなヤカラはどこかちがうね。桜の毛虫(白髪太郎)にはかぶれるは…アリガタ印の花見次郎サマよ。
材木商の重五さん、「花の座」を受け持つ名誉を得たが、櫻を称揚しにくく材木の知識に走ったのを反省して「はな」と仮名表示にしたというわけです。
すこし脱線しますが、上記の芭蕉の句の回文俳句本歌取り、
紙子身の半風糞は蚤ごみか
———かみこみの はんぷうふんは のみごみか
紙子(かみこ):紙衣。季は冬だが、ここでは転じて、貧しいひと。
半風(はんぷう):虱(しらみ)のこと。「風」の文字の半分だから、と古語辞典にある。…なるほど。
異名は多い。白虫・東虫・千手観音・…
貧乏をしているから、縫い目(折り目?)にシラミがたかる。黒いポツポツやあとはノミのふんか袂(たもと)くそだよ。
次は、 五形菫の畠六反 杜国
です。何でもなさそうな句ですが、これがスコブルつきの難問題。乞うご期待。