句解1・霽・つゝみかねて
つゝみかねて月とり落す霽かな 杜国
歌仙霽の巻は杜国の発句で始まります。
杜国は、尾張国名古屋城下の米屋を営む家に生まれました。坪井家は当町において町代を務める名家でした。
松尾芭蕉の弟子であり、貞享(じょうきょう)元年(1684年)に『冬の日』を編みました。
貞享2年、米の空売りをした咎で死罪、後に恩赦で追放となります。貞享4年に慰めに芭蕉が越人を連れ、蟄居の地を訪ねています。
さて、米問題が怪しくなってきたころのこの句会は悄然とした杜国をはげますための性質を帯びていました。
杜国の当番となったこの句座で杜国は、暗雲が立ち込めている身辺の重苦しさに耐えかねてつい表情に出てしまう自らの情けなさを籠めて「月を包もうとして失敗した時雨のようなものですよ」と冗談めかして自嘲しました。
「しぐれ」は「し(風)」「ぐれ(狂)」で本来「雨」の意は無く、「しぐれ」は「しぐれ雨」の略語であるといわれています。
杜国は、集のトップに〈狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉〉と芭蕉が詠んだのが心に沁みて、それはまさにわたしの境涯でございます、と応えたのではないでしょうか。でも頑張ります、という気分を籠めて「しぐれ」に「霽(晴れてくる)」という当て字を使ったのではないかと思います。憂鬱で字を間違えた、いわゆる誤字、ではないと思うのです。
安東次男は「「月とり落す」と作った見立の誇張に談林臭がイヤだが、小夜しぐれに「霽」を当てたところに一工夫があり、…」と見当違いの誉め方をしている。「加えて前書きがよい。」というが、その前書きとは「つえをひく事僅に十歩」で古注にのせられて同調しています。これも単純に「疲労困憊して」の意でしょう。
月の定座は5句目。それを引き上げた。それもトップへというのは破格の処遇です。連衆みんな挙って杜国に献上した、これはもう慰労のあらわれ以外にないでしょう。
みんなで杜国をそれぞれの句で激励しますが、それをたどることにしましょう。