こんな原稿を見つけました。「俳句ポスト365」の俳句文法について質疑応答した内容です。
内容に差しさわりがあると考えて発表しなかった下書きのようです。
第199回兼題「踊」の文法上の質問
●赤潮の兼題の時に、「豊饒の海を剥ぎ取る赤き潮」の添削例として、「赤潮や豊饒の海剥ぎ取りて」があげられていました。 切れ字「や」の使い方について、質問させてください。 添削例では、「赤潮」が「豊饒の海を剥ぎ取る」主語になっていると思われますが、このように、中7以降の動作の主語に「や」をつけることは可能なのでしょうか? 上5と中7以後の意味がつながっていて、「切れ」ていないのではと思われます。 /虚実子
○「白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男」と基本的には同じ用法になります。
(夏井先生のこたえ)
ウロの見解:
赤潮の兼題の時に、「豊饒の海を剥ぎ取る赤き潮」の添削例として、「赤潮や豊饒の海剥ぎ取りて」とあり、切れ字「や」が、意味内容の中断を生じ、句意の詩的流れを阻害するのではないかというご主旨の虚実子さんの質問がありました。私は以下のように考えたのですがいかがでしょうか。/
原句〈豊穣の〉は一句一章なので、十七音が一気に押し出される気息充実した句です。一般的には、最後に「けり」「かな」の代表的な切れ字がつき効果をたかめるものだそうです。
例えば次の句、
〈夏草やつはものどもの夢の跡 / 芭蕉〉
〈流氷や宗谷の門並(となみ)荒れやまず / 誓子〉/
は、それぞれ「や」を用いなければ、一例として /
〈夏草はつはものどもの夢の跡かな〉
〈流氷の宗谷の門波荒れにけり〉
となるでしょうか。「夏草」「流氷」の野卑といってわるければ粗削りの男らしさが殺がれてしまっていると思うのです。/ 原句〈豊穣の〉の「海剥ぎ取りて」の鞏さを生かすのなら添削例の、〈赤潮や豊饒の海剥ぎ取りて〉のように「や」でもう一度エンジンをふかせて一気に「剥ぎ取り」にかかるほうが、句の流れを阻害するどころか、逆に勢いが増していると思うのです。/
なお、虚実子さんがおっしゃる通り「赤潮」が後段の文節の主語ですが、助詞の「は」「が」と同様に「や」は主題を提示し、さらに加えて強調の役割をもつもので決して中断するものではないと思います。/
問題は、「赤き潮」です。兼題「赤潮」からはずれ、季語ではありません。句調を整えるためにこうしたのでしょうが、むしろ「あかしお」の四字の字足らずのままのほうが良かったと思います。
ということでした。