回文俳句日記3月6日兼題「啓蟄(けいちつ)」 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

  この日こそつちのこの蟄底ひのこ
  
  ———このひこそ つちのこのちつ そこひのこ /

蟄:かくれる。ひそむ。とじこもる。啓蟄は、二十四節季の一。冬ごもりをしていた虫が這い出してくる意。きょうは「啓蟄」です。
つちのこ:槌の子と書くのは同音異義で、ここでは、架空の動物。ずんぐりした穀物袋のような形をしている。カワウソか河童の仲間か。マンボウを見たことがない人がマンボウによく似ているという人の唯一の目撃談だからきわめて怪しい。
底ひ(そこひ):極限。果て。古語のみで、現在は使われていない。

せめて啓蟄の日ぐらい顔をみせたもらいたいものだ。地の果ての子よ。え、目の前にいるって?

ソコヒには目の病気も同音異義語としてあり、白内障・緑内障などのこと。私は、白内障は両眼とも手術して眼内レンズです。レンズには保証書が付いていてメーカーは米国テキサスです。英語が読めるようになるよ、とは医者の言でしたが、未だに詠めません。あのヤブめ・・・。同時に緑内障も患っていて、早晩目が見えなくなるのは既定路線ですが、進行は徐々でこちらは寿命と競争だそうです。網膜ががけ崩れしている由で手直し不能、路肩がイカレても県の土木課は動けないのと同じリクツで政府の責任だそうです。ず~っと上目遣いのサラリーマン生活でしたので弾性疲労なのでしょうか今は上半分が見えません。のこり下半分の視力でパソコンを見ています。
今日から未踏の90歳代突入、せめてギネスに名前が残りよう、ぐわんばるぞお~‼