回文俳句日記兼題「白魚」 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

  白魚か際やか柔き雅翁らし
  ———しらうをか きはやかやはき がをうらし /

際やか(きはやか):①きわだったさま。②きっぱりとしたさま。

雅な俳聖は白魚のようだといったら失礼かな、滋味やわらかいが、振る舞いがきりっとしていらっしゃる。
「白魚」といえば芭蕉でしょう。

草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て、

 明ぼのやしら魚しろきこと一寸

芭蕉句中最高の作品の一つ。推敲を重ねてこうなったが、初案は、「雪薄し白魚しろきこと一寸」だったそうです。おかげで作品の季題は冬から、春のあけぼのに変ってしまった。10月桑名での作だから、初案が自然であるものの、詩的価値ではこちらのほうがはるかにいいのはシロオトにもわかる。

吟行で感じた句をそのまま短冊に仕上げてはならないということ。直感よりも思い付きが大切だということ。このことを教えてくれるエピソードと思いました。
そして、季語に振り回されているように見える現代俳句界のことです。芭蕉のころは「白魚」が季語ではなかったのでしょう。そうすると昔はよかったが、今は「季重なり」となってこの句は駄句となってしまうのでしょうか。「季語」の存在理由に立ち返るべきだと思いませんか。