八月は葉月。
耳鳴りの隙間から蝉を聴いています。だからその賑やかなことったら…
父母きっぱり葉月波路五十日
かぞいろはきつぱりはづきはろいそか
むかしの洋行風景。「かぞいろは」:両親のこと。「かぞ」は、父、「いろは」は、母
のことです。(『和名抄』)古語はホントにわからなくなりましたね。
五十日の船旅です。別れのテープ、銅鑼の音。さあ出航だ!
若さっていいですね。
年寄りにはどうも夏は…苦手です。
せめて「老いらくの〇〇」といきたいもの……
そういえば、「老いらく」ってコトバわかりますか?
国語文法の「ク語法(くごほう)」という使い方です。「思惑(おもわく)」とか「願わくば」とか、まだいくつかのこっていますが、だんだん亡くなってゆくニホンゴのひとつです。
セゴどん、じゃなかどん(じゃないけど)、きゅは(今日は)このへんでよかろかい? せっぺ(せいいっぱい)きばったもんせ!(がんばってください)
パソコンが不調で皆様のブログを見ることができません。自分のブログに寄せられた「コメント」はおろか、「いいね!」をみようとしても、フリーズしてしまいます。
楽しみにしていた「悠々自適blog句会にもとうとう失礼してしまいました。出句しましたが、選句はもうできませんでした。
ウロの第43回blog句会(テーマ「おり」「なり」「たり」の使い分け)の出句は、次のもの、
〇鳥諍(いさか)ひたりきつく束ねる洗ひ髪
「たり」:断定の助動詞。or 完了・存続の助動詞。
用例 ①桜花たり。体言に接続した「たり」は、断定です。サクラだぜ。
②咲きたり。連用形に接続した「たり」は完了・存続の助動詞。咲いてしまった、か、咲いている、のどちらかです。
ウロの句は、諍っている最中の状景です。
〇領しをりベンチの膝に水鉄砲
ベンチに腰かけているわたしの膝の上には水鉄砲がある。持ち主のこどもはこのおもちゃに飽いてほかの遊びに行ってしまった。水鉄砲は我が物顔に存在を主張しているのが微笑ましい。
『をる』と「ゐる」は、ムカシの人は、微妙に使い分けていますが、折があったら書きましょうか。
〇祭なり和紙をたたみて箸置きに
「なり」には、上記「たり」と競合する断定の使い方と別に推量の助動詞としてのはたらきもあります。また、推量・推定では、「めり」が、視覚による推定(留まっているようだ)、「なり」が、聴覚による推定(音がするようだ)などムカシの人は使い分けているので大変です。
「祭なり」の「なり」は「ニアリ」から変化したフツーの意味で、漢字で書くと「也」です。
以上3句ですが、何点入ったものやら…どなたが入れてくださったものやら…とにかく、句友の皆さまありがとうございました。
難聴で失語症ってとこでしょうか。ウロあわれ。