悠さんへの手紙二伸 | ouroboros-34のブログ

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こころに映りゆく由無しごとを其処は可となく書き付けて
ごうなっだのでありますぐるらめ。

    悠さん

あなたの句にはニホンゴの誤りが多いことはつとに存知あげていましたが、今回改めて「句の添削」で評判が悪いことを知りました。

それで実際はどうなのか自分の眼でたしかめることにしました。

その結果気付いたことの一例をを申し上げます。


    白鳥来湖上の浮かぶ紅一点/ 寿々

という句について悠さんのブログでのテンサクが目につきました。

コメント欄に作者との微笑ましいコメントのやり取りが見られました。

悠さんが問います。
「白鳥がなんで紅なの?」 (どうしようもない、という口振りです)

作者が答えます、「白鳥の周りにわらわらと水鳥が浮かんでいる画像を見て色とりどりの中、白鳥は堂々と一際目立っているという意味で白鳥の白と引っ掛けて紅一点と選びました」

悠さん「その画像を見ていない人はどうするの?」。 (少々アタマにきました)

作者、「紅一点の意味が辞典だと凡庸なものの中に一際目立ったものという意味でしたので使いましたが…

没ですね(^_^;)すみません」
―――――(以上説明部分を除いて公開ページ原文のまま)


さあ、これをどう見るか。

テンサク者の悠さんは自分の第一感からとうとう最後まで抜け出せなかったのだなと残念に思いました。作者の詩的表現意図をこれだけこまかく訊き出しながら―――


白鳥来。
冬の到来を告げる季語(のようです。実は私の俳句歳時記に「白鳥」が立項されていませんでした??)。
このことばは「越冬に飛来する群団の姿(飛んでいるところ)」が視界に浮かぶのですが、この句ではすでに「降り立った」一羽の白鳥です。従って「白鳥来」は白鳥を目にしてはじめて気づいたという上五の提示が極めて特徴的な扱いになっています。

「湖上の」湖上「に」でなくなぜ「の」なのか。
「紅一点」に集中着目しているからです。単なる写生になるところをまぬがれています。

最後の「紅一点」。
これがこの句のキーワードです。
ベニイッテンと読んではいけません。白鳥がなんで紅なの?となります。
答えは作者の自解のなかに明記されています。紅は色ではないのですよ、悠さん!

中国の王安石詩から「万緑叢中紅一点」に典拠をもつ言葉です。

作者が言うように多くの中にあって異彩を放っている、という意味です。
特に男の中にひとり女がまじっているときの状態をいう場合が多いです。この句にはそんな感じもあります。
またここではバレーの「白鳥の湖」のシーンを想起させる美しさを見事にとらえていると思います。華やかな中に寂しさも滲んでいます。

「紅一点」の典籍を踏まえて佳い句になりました。


没にすべきではない句でした。

作者にとって「これこそは」と思っているわが子のような句を説明や理由を明示しないで(納得のいかないまま)バッサリ切り捨てるのはよくないと思うのですが…